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「書くこと」に向き合うために書いた原稿

本当に心から嬉しいことは何か?

先月誕生日をむかえた。44年生きてきた。
これまでの人生で「心から嬉しかったこと」が幸いにも、いくつかある。

・大学に受かった時
・はじめての彼女(のちの家内)に交際を申し込み、OKのメールをもらった時
・はじめての子供が生まれた直後、病院で彼を腕に抱いた時

これらは人生にとって、「とても大きなこと」だ。
それらは特別な出来事であり、二度はない。
だから貴重であり、かけがえのないものだ。

一方、「人生でずっと続く嬉しいこと」がある。
これも幸いにして、いくつか持っている。

・お気に入りのロックンロールを聞くこと
・お気に入りの映画を観ること
・図書館をうろつくこと
・本を読むこと
・物を書くこと
・美味しいものを食べること

これらは「人生の辛いことを忘れて没頭できる(時間を忘れられる)こと」だ。そして一回では終わらない。自分でそれを選択すれば、いつでも得ることができる。

時間を忘れられること=幸福

時間を忘れられることがある、というのは、その人の生まれ持った「特性」だ。
幸せでいるためには、この特性に気づくことが必要だ。

というのも、まさにこの文章を書きはじめがそうなのだが、まったく気乗りがしなかった。目は何だか充血気味だったし、ちょっとした騒音で気分は滅入っていた。
けれど、いわゆる「アウトプット活動」が、自分にとってどういうものなのかをまとめようとキーボードを打ち、文章をまとめているうちに、どんどん気分が良くなる。

文章を書くのがキライな人には信じられないことだと思う。私も、いつ撃たれるか分からない戦場でシャッターを夢中で切るカメラマンのことは信じられない。大金をはたいてジェット機に乗り、パラシュートを身に着けて雲よりはるか上より飛び降りる人の気持ちも、私にはさっぱり分からない(理解したくもない!)。
人にはそれぞれ、始めたら、最後まで夢中になれる何かがある。

 心の栄養になっている

かつて藤子不二雄のコンビ(藤本氏・我孫子氏)は、トキワ荘という古びたアパートの一室で二人で暮らし、徹夜で漫画を書くこともしょっちゅうだった。売れっ子になる前のことだ。書くことに何の保証もない時代である。ある日、朝が明けても夢中で漫画を書けるのはなぜなんだろうと二人は話し、「きっとこうして漫画を書くことが栄養になっているんだ」と藤本氏は言う。

つくづく、不思議なものだ。
人間はそれぞれ、時間を忘れることができる何かを持っている。心の栄養になっている時、人は満足し、これこそが自分の使命と心の底から信じられるのだ。
ところがどっこい、まったく人間はおかしなもので、自分の特性に注意を払うかといえば、そうでない人がかなりの数、いる。私もそうだった。現実ではそういう人がかなり多いと思う。

贈り物を大切にできるならそうすべき

私は昔から自己肯定感があまり高い方ではなく、自分の特性についても敬意を払ったことがなかった。贈り物とは思わず、むしろどうにも散財させる厄介な代物だと思っていた。

団塊ジュニアの世代は、良い教育を受け、良い会社に入るのが人生のゴールと親や教師から教えられてきた。また自分の個性より、全体の「和」を大事にせよとも。自分の幸せ? それでお金がもらえるか。安定した仕事につけるか。家を持ち、結婚できるか。
自分の特性を問いただす「大人の声」がいつも胸の中で聞こえる。私だけではないと思う。

だが息子が生まれ、成長を見守って、つくづく知った。人の持つ特性は神様の贈り物だと。
息子は車が大好きだ。
家族の誰も、両家の祖父祖母にいたるまで、車好きの人間はいない。
だが彼は幼稚園に入る前から夢中だった。車のことを考えている時、彼は幸せだ。それを伸ばすことで、息子は良い方向に成長していると感じる。

時間を忘れられるのは、人間の持つ優れた能力のひとつだ。
何に夢中になれるかは、まさしく神のみぞ知る。さらにそれを贈り物と感じ、大事にできるかは自分自身でそれに気がつけるかどうかだ。

書くことは生きること、私にとっては

人によっては、生活が厳しくて「それ」を選択できないかも知れない。
環境が「それ」を許さない、ということもある。
私にとっては幸い「迷子になっていたけれど、やっと元の道に戻ってきた」ところだ。

もうそろそろ、夢中になれるものがあることに、敬意を払い、与えてくれた天に感謝し、これからどう向き合っていくのかを考えてみてもいいのではないかと思い、この原稿を書いている。

私はプログラマなので、技術ブログも書いている。
こちらは最初、自由なことを書くブログとして書き出したのだが、思いの外、同業者に受けが良かったので、技術系一本に絞りつつある(自分の好きなことについては書ける場でなくなってきている)。

そこで、今後「執筆活動」については、note を使うことにした。
まだどう使ったらいいのか分からないことが多いし、小説を書くのにも使えるものなのかも分かっていない(note で続けられるかも分からない)。
色々模索しつつ進んでいくことになりそうだけれど、ひとつだけ決めたことがある。

もう好きに書こう、ということだ。

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