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普通じゃないといけないの?

みんなと違うからという理由で、からかわれ、時にいじめにまで発展することがあります。


友達に「おかしいよ!」「変だよ!」と言われてしまった、と傷ついて帰ってきた子になんと声をかけますか?

「おかしくないよ。」「変じゃないよ」は、実はあまり解決になっていません。

子ども自身に、おかしいとか変とか、じゃあその反対の普通って何だろう?と考える機会を与えてみましょう!


STEP1. 普通の方がいいときってどんなとき?


病院に行って、問題はない、異常じゃないですよ、という意味として「大丈夫、普通ですよ」と言われたりしますよね。
この場合、普通であることは安心する、望ましい状態です。
このとき使われる普通という言葉は、「正常」の言い換えです。

実際の哲学アトリエでも、子どもたちに普通にまつわるどんなことがあったかを聞いてみました。
すると、ある女の子は全身黒色の格好でキメていったところ、「真っ黒は変だ!」と男子に言われたそうです。

また、ブランコは立ち乗りしちゃいけないことになってるのに、ルールを破って立ち乗りしている人がいる。そういう人は普通じゃない、という意見もありました。小学生の視点ならではの例がとっても新鮮でした。

「変、普通じゃない」という言葉はやはり子どもにとって言われるとショックを与える言葉であるようです。


STEP2. 普通じゃない方がいいときもある?

では一方で、普通じゃない方がいいときはないのでしょうか?

日本語ではよくカタカナで「フツー」と表現されるとき、これは普通であることがマイナスなときを指しているように思います。

例えば、映画やアニメ、料理などの感想を求められて、「フツー」と言われれば、特にこれといった特徴もなく、他と同じ、何の変哲もない…というような意味になりますよね。
人に対してであれば、フツー=型にはまっていて退屈な人、つまり悪口になってしまうことも!
前に挙げた例と比べると矛盾しているようですが、この場合、普通という言葉は「特殊」に対する「一般」の言い換えとなります。

もうわかったように、普通にもいろんな意味があり、使われ方によって褒め言葉にも貶し言葉にもなるんですね。


STEP3. 普通ってなんだろう?

ほかにも、「物を落としたら落ちるのが普通」「太陽は東から昇るのが普通」というのは科学的説明、原因と結果の意味としての普通ですし、
非常・臨時の反対で「通常」の意味をもつ普通。
普通は英語でノーマルnormalですが、ゲームのノーマルモードは「中間」という意味も。
学校でも、専門科・工業科などと区別するための「普通科」があったり。
普通という言葉の使われ方でも本当にいろいろあります。

普通ってややこしい!と思ってきましたね。

これからさらにややこしくなる話をします(笑)


学校に通う子どもにとって、朝6時か7時ごろ起きるのが普通です。でも、新聞配達員やパン屋さんは、朝3時に起きるのが普通です。
目が見えてるのが普通だと思っているかもしれないけど、目が見えない人にとっては耳や感覚をつかって生活することが普通。

また、ジェンダーやセクシャリティの話にもつなげることができます。男の子でもお人形遊びが好き、女の子でも車遊びが好き。その子にとってはそれが好き、それが普通。

つまり、人によって普通は違う、ということを気づかせてあげてください。

さらに、自分の中でも普通は変わる、ということまで達するといいです。

自粛中、「お友達とも遊べない、学校にも行けない。普通じゃない!」と思っていた子は多いです。
マスクをして、ソーシャルディスタンスなんていうものにも気をつけて…
あのとき普通じゃないと思っていたことも、毎日それを続けていけば、いつの間にか普通になります。

フランスではマスクをする習慣が全くなかったのに、今では全員がマスクをして、それが日常になりました。

フランスの哲学者カンギレムは普通という概念について以下のように定義しました。

普通という概念は静止的で平穏なものでなく、ダイナミックで論争的な概念である
« Le normal n’est pas un concept statique ou pacifique, mais un concept dynamique et polémique. »


STEP4. 普通になろうと思ったらなれるの?

では、最後。

おかしい、変、という言葉がネガティブに聞こえますが、はたして普通になろうと思って努力したらなれるものなんでしょうか?

そもそも、普通という概念は作られたもので、自然界に普通はありません
作物を育てる中で、人間には全くコントロールできないものだらけだということをこれでもかというほど思い知らされるのではないでしょうか。
子どもも、生まれてすぐは発育など気になりますが、目安でしかないですよ、と言われますよね。そう、人間も動物です。「普通な人」なんていないです。

しかしながら、「多くの人がこう」という意味の普通は存在します。
例えば「普通はこれくらい知ってる」「普通は1歳で歩き始める」とか。この場合の普通は、一般教養や基準です。
この場合、自分個人で決めるものではなく、押しつけられるものと言えるでしょう。

オーストリアの哲学者ケルゼンはこう言います。

基準とは価値のあらわれである。倫理的基準とは倫理的価値を指し、法的基準とは法的価値を指す

基準とははこうでなくてはいけない、というような、命令・掟・教えや秩序に近いものです。


まとめ

普通は時に自分で決めるものであり、時に他人から押しつけられるもの。
決まった普通は無く、つねに変化する。

そうなったら、「普通、おかしい、変」といった言葉を使う人に、「それはあなたの、しかも今の時点だけで決めつけている普通でしょ?あなたのそんな曖昧な普通をおしつけないで」と言えそうですね。

もっとかんたんに「普通」について話すなら…
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