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ホワイトクリスマスの祈り(3)

※全6話
あらすじ:
12月23日、日奈子にとって主任 水木との、最後のランチタイム、のはずだった。 2人が折り重ねていく言葉で綴る、優しい大人の恋物語。

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「あなたと買ったブローチ」

 日奈子のスーツの左襟にはツリーとは異なるが小さなスノーフレークのブローチがある。思わず右手でそっと撫でる。
 ついこの間、水木と顧客への謝罪の帰りに見つけたものだった。自由が丘の小さなジュエリー店、クリスマス仕様のショーウィンドウに飾られていたブローチ。手を出すのに億劫になる値段でもなかったが、ネットでも似たようなものを過去に見た気がしていた。

--ネットで似たようなの買おうかな……
--でもネットで買ったらただのブローチだけど、ここで買ったら僕といた時に買ったブローチ、ってことになりますね。

 日奈子の小さな呟きをそっと両手で救うように、水木はショーウィンドウに手をつけて呟き返した。

「似合いますね、やっぱり。そのブローチ」
 デザートのバニラジェラートをすくい取りながら水木が指差す。日奈子の心が締め付けられるのはいつでも、水木の言葉のTPOだった。日奈子がブローチに触れる、そんな動作の先の感情を水木が読んでいてくれることに日奈子は気づいていた。
 ジェラートを口に含みながら水木が微笑んで俯く。目尻に皺を寄せて、また視線だけ寄こす。日奈子は水木に気づかれぬように深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出す。
 赤い糸の存在を信じるほどもう子どもじゃない。スプーンの上でふるふると揺れる柔らかいミルクレープの層を見つめた。
「ほら、ヒルズのエントランス前にツリーがあったでしょう?ここに駆け込むときに見て。スノーフレークが飾られてたから、あのとき玉森さん買ってたなって思い出してました」
「あのとき……」
「そうあのとき。菅オーナーに漏水対応遅すぎるって怒られて」
「帰りにTusk Barで水木さんとグリーンカレー食べて」
「そう。その帰りのジュエリー店」
 ねぇ、と首を傾げるタイミングが同時なのは、同じチームで5ヶ月やってきた小さな賜物なのかもしれなかった。
 共通の動作が増えて、確実に厚くなる信頼の層が引き剥がれる未来など日奈子にはもう想像できなかった。たぶん、このミルクレープの層よりも薄い層が何層も何層もその都度、強い密着度をもって今この瞬間も心に折り重なっていっている。
「うん、玉森さんにやっぱりよく似合います。それがこう、胸にあるだけで来たるクリスマスを楽しんでるって感じにも見えます」
 あと2日後にはクリスマスが来る。
 マライアキャリーの恋人たちのクリスマスが発売されたのは1994年11月1日。日奈子の誕生日だった。物心ついた頃にはその曲がクリスマスになれば町中で聞こえて、クリスマスは恋人たちのものなのだと、この25年間日奈子は信じきっていた。
 でも今日は通りすがりのどのショップからも聞こえなかった。なのに凍てついた冬の空気が肌に密着すると、自動的にベルチャイムやシンセサイザー、バックコーラスにのったマライアの声が日奈子の中に押し入って無理やり彩ろうとする。
「やっぱり、明日とか、25日とかにランチにすれば良かったな……」
 スプーンでミルクレープをすくう。口に運んでは、また柔らかな生地にスプーンを突き立て、美しく変わらぬ層をただ見つめていた。

#小説 #短編 #8000字のラブストーリー

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