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051. 小説読む意味、書く意味

小説が読めない病って皆少なからず通る。なぜ役にも立たない他人の書いたノンフィクションなんて読まなきゃならないのか、書いてるのか。

大賞など取り、価値化されて初めて読まれるものも多い。あたし自身の作品も大賞取ったものは読まれがちだけど、他は微妙だもの。

小説は留めておけないものを留めたいという作者のエゴの塊。無意味だなと思ったり、いや意味はあると思い直したり、日々行ったり来たりしている。

下向きの時はプロの言葉にならう。

直木賞作家の井上荒野さんの言葉だ。

井上さんは、あたしが初めて受賞した文学賞の選考委員だった。

「書けない時、どうしたら書けるようになるだろうと考え、書かないと書けるようにならないという結論に達しました。人を見る目というのは、自分と小説を書くこととの関係だと思うのです。人を見る目が出来ているという評価は、何作も書くことで可能になりました」。

意味わからなっても立ち止まらずに書く。これも大事だ。

小説って言葉の芸術だと思うんです。言葉が小説を作っているということに意識的である小説が好きです。どの言葉を使えばいいのかということにつねに意識的に力を注いでいるものが小説なんじゃないかと思う。たとえば今こうしてインタビューを受けている情景を書き表す時に、テーブルの上にあるカップのことから書くのか、今日の天気から書くのか。今この場にいる自分を描く時に、どの言葉を使うのがいちばんいいのか、その選択が大事だと思います。いろんな考え方があるけれども、私はそこは外せません。意表をついて驚かせるだけだったら映画でも手品でもいい。でも、選んだ言葉、選んだ組み合わせでしかできないことがあると思います。

あたしは井上さんの小説には終始官能的な雰囲気がただよっていて好きだ。これからもその背中を追いかけたい。

受賞した作品集は以下より

https://jintanren.stores.jp/items/5cd5275c686ee21e9ffa7fca

#エッセイ #小説 #読む意味 #書く意味 #書けない時どうしたら書けるようになるのか

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