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イラスト交換みたいに、これまで読んだ本の話をする

この前、小学二年生の子と好きな絵本の話をした。彼女の好きな絵本を教えてもらい、わたしの好きな絵本を伝えた。彼女はわたしの好きな絵本を読んでくれて、「面白かったよ」と言ってくれた。それが、とてつもなく嬉しかった。

小学生の頃、絵が好きな者同士でイラスト交換をして異様に楽しかった、そんな思い出がむくむく盛り上がった。編み物が流行ったときは、お互いに編んだものを差し出しあい、将棋が流行れば、毎日盤面を睨んで対局し、将棋の知識を交換した。おすすめの漫画はほうぼうで貸し借りが行われ、受験や就活のときは自分の良いと思っている方法を伝えあった。

わたしは、どうやら今まで好きな本を、イラスト交換みたいに、もしくは漫画を貸し借りするみたいに、伝え合う機会があまりなかったのかもしれない。誰かにわたしの好きな本を読んで欲しい、なんていう欲求もなかったし、誰かの好きな本を知りたい、という欲求もそんなになかった。

でも、古本屋をはじめて、すこしずつそんな機会に恵まれて、それが互いに響けば、これはとても楽しいことなんだ、と今思っている。2〜3月に行ったクラウドファンディングのリターンとして制作している『庭の人冊子』も、それぞれの人のおすすめの一冊の項目がある。それを眺めているのが、今、一番楽しい。

そんなこんなで、イラスト交換しよ!って言って下手なセーラームーンやマーマーレードボーイのイラストを渡し合っていたみたいに、わたしの好きな本たちを伝えたくなったので、書ける範囲で、書いてみようと思う。読んだ本すべてを覚えていないから、自分の大まかな年齢順に、思い出したものだけ、だけれど。

幼少期

母親が福音館のこどものともを定期購読していて、毎月絵本が届くのが楽しみにだった。絵本もそうだけれど、そこについていた雑誌『おおきなポケット』には、漫画あり、特集あり、コラムありで、いつもかじりつくように読んでいた。

一番好きな絵本はこれ。今も水彩画が好きなのは、この絵本の影響だと思う。いまだにたまに取り出してはうっとり読む。わたしにもいつか、こんな夏があったかもしれない、とおもう。水の中のキラキラや暗さ、陽の明るさ、全部好き。


「エロール・ルカインが好きなのよ」と連呼する母だったから、たくさんいる絵本作家の中でも彼の名前だけはよく覚えている。繊細な絵、でもすこしコミカルで、すこし怖い。


林明子の絵が好きだ。優しいお話も好き。こどもがかわいい。なんてったってかわいい。


「やなぎむらのおはなし」シリーズも、ソフトカバーが擦り切れるくらい読んだ。大好きだった。こんな素敵なホテルとレストランがあったらいいな、いいな、といつも思っていた。


わくわくしたなぁ。同じのつくろつくろ!と言って、つくったかどうかは覚えていない。最後に出てくるお風呂のシーンはよく覚えている。


食べ物の絵本だとこれもかかせない。こんなスープをわたしもつくりたいなあと思っていた。言葉のリズムも好きで、今でもくちずさめる。


これもいろんなリズムが出てきて楽しい。そして、がらがらどんは格好良くて、トロルは本当にこわい。


こわい、といえばこの絵本に出てくるねずみばあさん。何回読んでもこわいのに、何回も読み返してしまうのが不思議だった。


おしいれのぼうけんから連想される何度も読んだ絵本は、これ。どちらも田畑さんだったんだなぁと今思う。自分と誰かは違う、とはじめて知ったような気がする。


たぶんもっとあるけれど、絵本で終わりそうなので、いったん次に進む。


小学校低学年

あまり覚えていない。このころもまだ絵本を読んでいたのかも。

ドジで間抜けなのに、なぜだかかっこいいゾロリ。


このあたりのシリーズもよく読んでいた。あと、漫画みたいなコマ割りで、選択肢によって物語が変わる(進む?)児童書もよく読んでいたけれど、名前が思い出せない…。


小学校高学年

自分で本を選んでいる、と思うようになったのは、このころからだ。図書館の棚を眺め、3冊抜き取り、借りる。日本の作者ばっかり読みたい時期と、外国の作者の物語が読みたいときがあった。訳者が重要なんだ、とこのころよく思っていた。帰り道、ランドセルに読んだことのない本がはいっていると思うと、いつも胸がわくわくした。気に入った本は何度でも借りて読んだ。漫画の偉人伝記シリーズにもはまっていた。なぜだかマーキューリ夫人の話をよく覚えている。ちなみに、本を読んでいるからと言って親に褒められたことも、叱られたこともない。新しい本と出会うのは、もっぱら学校の図書館だった。


バルサがかっこいい。ひたすらに。目に見える世界、目に見えない世界、誰かの信仰、土から生まれるもの。そんなことを今考えるのは、守り人シリーズの影響が大きいと思う。


これは、なんて少女漫画、文字の少女漫画だ!!と読むたびどきどきした。


いわゆる児童書と呼ばれる本の中に、不倫や援交がこんなにがっつり出てくる本をわたしは知らない。そして、人生の見方、日々の視線の合わせ方を、たぶんものすごくこの本から学んだ。


漂流した少年たちの暮らしに、すこしわくわくしながら、読んだ。あんまり話の内容を覚えていないから、もう一度読みたい。


少女、まだ大人になりきれない少女が赤ん坊の面倒を見る。わたしの知らない世界の、知らない苦労。わたしの苦労は誰にもわからないし、彼女の苦労だって誰にもわからない、そんな気持ちで読んだ。



大人から、「嘘はいけない」と教えられる。嘘はいけない、嘘はいけない、そんなことを唱えながら、こんな嘘ならついてみたい、と憧れた。


おとなってそんなに偉いのかよ、って心の底で思っていた。それをやさしくやわらかく受け止めてくれた。最後、誰にも見えなくなったときが、死ぬときだ、という描写が忘れられない。


書いてあることは、読めるのに、全然わからなかった。全然わからない、と思いながら読み終わり、数年後、同じ本を読んだらとてつもなく読めた。わたしが変わることで、読める本がある、ということを知った大事な一冊。


ゾロリや不思議な男への憧れにも似た気持ちを怪盗二十面相へ持っていた。正義づらして謎をとくより、謎をつくるほうがずっと面白いやって。


こんなおばあちゃんが、わたしにも居たらいいのに、こんな場所が欲しかった。


タイトルが思い出せないけれど、若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」を引用した物語を読んで、その物語のことは全部忘れてしまったけれど、この句だけをずっと覚えている、みたいな本もある。

中学生

現代の小説を読むようになったのは、たぶんこのころだ。本を買うほどのお小遣いはなかったから、もっぱらブックオフへ通った。小説よりも漫画の方が読んでいたかもしれない。休みの日、7時間くらいはブックオフにいた。

(わたしの中で)空前のよしもとばななブームが起こる。きっかけは、キッチンだった。やさしい悲しさ、みたいな、そんなものに触れられた気がした。出てくる女の子、すべてが愛おしかった。


秀美くんへの憧れは、もしかするとゾロリや怪盗二十面相への憧れに近いのかもしれない。「すべてにまるをつけよ」にしびれた。



当時、V6の岡田准一が好きだった。なにかの雑誌で彼がこの本を紹介していて読んだ。この小説は、恋愛物語だ。夏、という感じがする。走り抜けていく感じが、する。


宮部みゆきは、ミステリーの人だ、というイメージがある方もいるかもしれないけれど、わたしにとって彼女は時代小説との出会いだった。そして、多くを語らないゲーム『ICO』の世界を、繊細に書き表した作家だ。


読んでも全然良い気分にならないのに、なんで読んでしまうんだろう、と思いながら読んでいた。乙一の話を人としたことはない。中学生の頃の、自意識の過剰さ、明るい中の地面が凹むような暗さ、いわゆる黒歴史みたいなものと、彼の文体はぴったり一致したような気がする。


「さようなら」の詩を、こっそり自分のスケッチブックに書いていた。それ以外の詩のことは、覚えていない。


いわゆるラノベと呼ばれるものが、すこしずつ売れ始めている時代だったようにおもう。今のラノベのことは全然知らないけれど、嫌なことを言う気にならないのは、わたし自身が普通に影響を受けたからだとおもう。


高校生

物語ではない本もよく読むようになった。高二くらい空前の自己啓発本ブームがあり、一日一冊ペースで読み耽り、どれにしたって書いてあることは全部同じじゃん、という気持ちになった。沖縄に関する本を手に取るようになったのもこのころだけれど、何を読んだかは覚えていない。養老孟司はじめ、センター試験の過去問に使われていた文章もよく読んでいた。短歌やエッセイを読み始めるのも、たぶんこれくらいのとき。

養老孟司という人は、結構衝撃的だった。大人なのに、大人に反抗してるみたいで、めちゃくちゃ好きになった。きっと変なやつなんだろうなぁと思った。


『サラダ記念日』というタイトルは知っていたけれど、実際に手にとって読んだのは高校生になってからだった。短歌のみずみずしさ、そういうものを知ったし、俵万智のエッセイも胸がぎゅっとした。彼女の師匠である佐々木さんの短歌や関連して読んだ与謝野晶子もすごく好きになった。短歌って古臭いものじゃなくて、「今」をそのまま込められるカプセルみたいだって思った。


なぜだか忘れたけれど、呼吸というものに興味をもって、それに関する本の中で一番面白かったのが、この2冊だった。余談だけれど、働き出してから斎藤さんにお会いしたときに、「あの2冊、とても好きです」と話すと「あれねぇ、全然売れなくて。読んでくれている人がいたとは……。あれ以降本の書き方変えたんです」と言われて、すこし寂しい気持ちがした思い出。


受験で行き詰まっているとき、よく読んでいた。当たり前だけれど、何かを得るということは、何かを失うということと同義であるって腑に落ちたのは、茂木さんの本を読んだからだった。(この本だったか、自信はない)


たくさん読んだ自己啓発本の中で、唯一読み返した本。なんでこんな本読んでいたんだろう。生き方に悩んでいたのかなぁ。


佐野洋子と上野千鶴子の印象はわたしの中で似ている。おそらく隣同士で母親の本棚にあったからだとおもう。こんな風に、思ってもいいのだ、と感じながら読んでいた。


沖縄関連の本は、何を読んだかすっかり忘れてしまった。

浪人生

太宰治にだだはまりをする。わたしほど、太宰の気持ちがわかるやつがいるだろうか、なんて思っていた。派生して、夏目漱石や芥川龍之介も読んだ。森鴎外はあんまり好きじゃなかった。

全然知らないけれど、明治の文豪たちの時代と、お風呂と夕飯が楽しみな浪人生活がずいぶん重なった。毎日朝、自転車で予備校に行き、ずっと机の前に座り、自転車で家に帰り、ご飯を食べ、風呂に入り、寝るという毎日。「桜桃」の中で、太宰が”親が一番大事”と言っていたことをいまだに思い出す。相変わらずお小遣いは少なかったから、すべてブックオフで買っていた。


大学生

遊びまわっていたけれど、あるとき、本を読まなくてはいけない、という焦燥にかられ、『座右の古典』を買い、面白そうなやつを片っ端から読んだ。わからないのも相当数あったけれど、ソローとの出会いはここだった。たぶん一番本を読んでいない時期で、はじめて焦りの中で本を開いた。

本を紹介する本を真面目に読んだのははじめてだった。真面目にって言っても、ぱらぱらっと開いて、面白そうなものを図書館に借りにいくという繰り返しだったけれど、誰かに本を紹介してもらう機会は専門以外ではなかったから、とてもありがたかった。


『座右の古典』に掲載されていて、はじめて知った本だった。大学を出て、都会を離れ、ウォールデン湖の近くに住むソローの言葉の中で、ずっと覚えておきたい言葉がたくさんあった。多分、今岐阜に住んでいるのも、大学生の頃にこの本を読んだ影響が大きいと思う。今読み返すと、「いやいや、ソローそれはさ……」っておもうところもあるけれど、やっぱり感銘を受けることもたくさんある。

知性とは、大きな肉切り包丁のようなものだ。事物の秘密をさぐりあて、切りこんでいく。 『森の生活』
いつだろうと、森のなかで道に迷うのは、驚くべき、記憶すべき、そして価値ある経験だ。迷うことによってはじめて、いいかえれば世界を見失うことによってはじめて、ぼくらは自分というものを見つけはじめ、自分がどこにいるのかとか、ぼくらがもっているいろいろな関係の無限の広がりとかを悟るのだ。 『森の生活』


『座右の古典』の中に掲載されている本で、最も読めないと思ったジャンルが哲学だった。開いては、閉じた。もしくは、目で文字をなぞる、ということだけで終わった本がたくさんあった。その中で、唯一読めた、と思ったのが『方法序説』だった。


ちょうど就活をしている時期で、「わたしにとっての幸福とはなんだろう」とぼんやり考えていた。幸福論と名の付く本を読んでみたけれど、どれも腑に落ちなくて、人から教わるものではないのだな、と思った。


村上春樹の『1Q84』が話題になっている時期だった。そちらも面白かったけれど、元ネタになったほうも読んでみよう、と思って手にとった。”言葉”や“現実”について考えさせられた。


爆笑問題のラジオがずっと好きだった。彼らの事務所、タイタンは、この本が由来だ、と知って読んだ。飛んでいく感じ、脈絡があるようでない、夢の中みたいな小説を、たぶんはじめて読んだ。


フーコーのフの字も知らないまま、図書館にあったから読んだ。当時教職を取るの授業を受けていて、教室の形のことを考えるきっかけになった。


とても好きな詩人なのだけれど、茨木のり子との出会いが、いつ、どこでなのか思い出せない。本屋さんかなあ。


大学時代のバイト先の上司に紹介された。さまざまな事例が出てくるけれど、結局は「人の話を聞こう」という話が多くて、この本を読んでから営業成績は爆上がりした。


就職先の社長がドラッガー信者で、この本を読んでいたことでえらく気に入られた記憶がある。


当時、とても信頼している女友達がすすめてくれた。大学生の後半から、本を読めていない自分、そして難しい本を読めないことへの焦りみたいなものがあったけれど、つきものが落ちるように払拭された。


膝を怪我して3週間入院したときに、この本を読んだ。外から遮断された空間で、この本を読めたことに感謝した。彼の短歌も好き。「スーパーマンはいつでも怒っている」と言っていた言葉が忘れられない。


沖縄のことを書いた本を読めなかったのだけれど、太郎ちゃんの『沖縄文化論』は読めた。彼の書いていることにすべて賛同するわけじゃないけれど、湿気のあるあの亜熱帯の空気を彼の文章から感じて嬉しくなった。「素人がいい」と断言する太郎ちゃんにとても励まされたりした。


東京時代

若松さんに勧めてもらった本をよく読むようになった。写真集や画集をはじめて買ったのは、働き出してから。自分で稼いだお金で本を買える、という喜びがあった。

若松さんの講座に通っていて、一番良かったことは書くこともそうだけれど、読むこと、今まで知らなかった人、知っていたけれど読んだことのない人の本を手に取り、読むようになったことだった。


浪人生のときに読んだ『明け方の猫』が忘れられなくて、本屋さんで、あっこの人だったんだ、と思った。小説を書いてみたくて、(結局完成はしなかったけれど)『書きあぐねている人のための小説入門』を読んで会社帰り、ひとり暮らしの1Kのキッチンで夜な夜な机に向かったことは、今も甘い記憶として覚えている。


友達と行った神保町の古本屋で500円で叩き売りされていた。知らない本だった。背表紙の裏には青いインクで卑猥と書かれたこの本に、のめりこんだ。


他にも本屋や古本屋をぐるりと歩いて、出会った本もたくさんあった。図書館から借りるのではなく、買える、ということが本当に嬉しかった。



詩集を意識して読むようになった。たくさんの詩人は知らないけれど、短い言葉が、わたしの支えになった。


岐阜へ来てから

お店をはじめる以前と、以後で随分変わってしまった。庭文庫をはじめて、なにかずっと余裕がなくて、実は本を読めない時期が続いた。最近、ようやくまた本が読めるようになって、すこしほっとしている。

一緒に住み出したももちゃんの本棚は、知っている本もあれば、知らない本もあった。たくさんの本を紹介してもらって、読めたのはほんの一部だけれど、とても楽しかった。


他の本屋さんで見かけたり、店で入荷したり、友達から勧められて読む本も、あった。


こうやって振り返ってみると、本の扉は、両親が買ってくれた絵本からはじまり、小中高は、図書館とブックオフ、大学以降は信頼する誰か(著者含む)と本屋によって、開かれてきたのだなぁとおもう。

これが、わたしの好きな(好きだった)本たちの一部です。
あなたの、好きな本はなんですか。

本は待っててくれるから

当然ながら、今まで読んだ本すべてを列挙することはできなくて、あ、あれも、これも、となって、収拾がつかなくなりそうなのでこのあたりでいったんやめる。いわゆる古本屋さんっぽい本を全然読んでいない自分がたまに恥ずかしくなることもあるのだけれど、本は無限のようにあるから、そんな自分を恥じずにお店に居られたら、いいなとおもう。

30年、ずいぶん近くにいてくれた本たちに感謝している。もう遠くなってしまった本もある。これからも出会いは、つづく。わたしが変らなければ読めない本、というのがあるから、それを根気強く待とうとおもう。すこし楽しみで、すこし億劫だ。「こどもの頭は柔軟で……」みたいな言葉をこどものころから馬鹿にしたきたけれど、30歳を越えた今、そういう側面もあるのかもしれない、と今はおもう。変わることは面倒臭い。でも、変わることがやっぱり楽しみでもある。本は、待っててくれるから、という安心感がある。

ちなみに、補足だけれど、本を読む人がえらい、なんて思ったことない。庭文庫にきてくれる誠也くんが「読まなくてすむ人生なら、その方がいいですよね」としみじみと言ったことをたまに思い出す。本がなくても、大丈夫な人は、無理に読まなくてもいいと、心からおもう。でも、もし日常が何か息苦しくて、どこかへ行きたくて、でもどうしたらいいかわからない、という人には、一度本屋に行ってみるといいかも、と言う。その人にとって必要なのは、本屋じゃなくて、ライブハウスや、美術館や、料理場や、銭湯や飲み屋やそういうものかもしれないけれど。

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