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春は鉄までが匂った

作者は物作りの町、大田区の工場街で生まれ、旋盤工として働きながら数々の作品を発表してきた。労働を描いた作家は多いが、彼のように長期間、労働現場に身を置いた作家は寡聞にして知らない。芥川賞や直木賞の候補にもなり、専業を勧められることも何度もあった。


二足の草鞋とも言われるが、現場に身を置くからこそ書けるのだと本人は言う。
「アルチザンには発見はあるが発明がない」
ある詩人が彼に言った言葉だ。職人はクリエイティブではない、という意味だが、作者は反発を覚える。


ココ・シャネルの「ファッションデザイナーは職人なのであって、芸術家にはなり得ない」という言葉は服は利便性が第一義だということであり、職人は毎日コツコツと単調な作業の繰り返しの中で(仕事とは本来そういうものだろう)、完璧を目指して工夫を重ねていく。


本書には旧ソ連が特許を取ろうとしていたことが、工場では職人の工夫で当たり前のことになっていたことが書かれている。独創性とは独自の方法論を生み出すことだが、左官業をしていた叔父は長年続けていくうちに道具に合わせて肉体が変化していく、と言っていた。それほど長い年月をかけて技術を磨いていくことで独創性が出てくる、それが職人というものだと思う。


本書の題名はロマンチックだ。鉄は無臭なのだが、工場の仲間は鉄だけではなく、削っているときには真鍮や銅やアルミニュームの匂いを嗅ぎわけると断言した。


職人の熟練と矜持が伺える言葉ではないか。

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