酒と羊羹と水木しげると武良布枝
母が通っているデイサービスの若い女性スタッフさんが話してくれた。
「長野さんと初めて話させていただいたとき、私の故郷と方言が似ていると思い、話しているうちに叔母と長野さんが関わりがあったことを知って、二人で興奮しました」
彼女の叔母というのは大原マキ子さんだ。父が長野紙店に入り、大原模型店に足繁く通っていたら、店主から「あんた、そんなにプラモが好きなら、自分でやってみたらどげだ?」と言われ、その店でプラモを仕入れたのが始まりだった。彼の奥さんがマキ子だ。徐々に父の趣味が高じて屋号は名ばかりで、やがてプラモデルが主な店になる。
自分もそれを聞いて驚いた。こんな偶然があるだろうか。
その女性スタッフは旧姓を黒田といい、実家は安来市にある黒田千年堂本店という羊羹屋だという。この店は創業が鎌倉末期で650年以上の歴史がある老舗中の老舗だ。近所には水木しげるの妻、武良布枝の実家で「ゲゲゲの女房」で有名になった「飯塚酒店」がある。
水木と布枝の婚礼の時だ。全員が下戸である武良家。水木の父が費用を抑えるために「酒は二級酒でいいぞ」と叫び回り、逆に全員が酒飲みの飯塚家は鼻白んだという。布枝の父、藤兵衛は村議会議員を務め、戦後に酒店を始めた。
水木の父の亮一は境港で初めて早稲田大学を卒業した学士だったが、歌舞伎や芝居や映画が死ぬまで好きな趣味人だった。
もう一つ。10代の時、大阪に住んでいた水木しげるは宝塚大歌劇に頻繁に通い、最前列で米子出身の乙羽信子を観劇していた。もちろん水木は彼女が同県出身だとは知らなかった。
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