見出し画像

「美と共同体と東大闘争」三島由紀夫vs東大全共闘 角川文庫

映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観る機会があったので久しぶりに本書を読み返してみました。

東大全共闘との討論会が開催されたのは三島由紀夫の自決の一年半前でした。
三島はサルトルの「存在と無」を援用してエロティシズムについて言及しています。暴力とエロティシズムは深い関係性があり、意思を持った主体に対する愛は非エロチックである。非エロチック的なものに暴力は発生しない。それは対決の論理であり、学生暴力というものをただの暴力とは考えない、と三島は言います。

ふと、東大時代に三島由紀夫に傾倒したという新井将敬の著書「エロチックな政治」はここから来ているのではないかと、思いました。
1983年に新井の選挙ポスターに石原慎太郎の第一秘書が「北朝鮮から帰化」というシールを貼った、いわゆる「黒シール事件」に際し、義憤を感じた民族派の野村秋介が石原事務所に猛抗議を行っていますが、その時から二人は盟友になっています。
「さらば群青」(二十一世紀書院)などの著書を読めばわかりますが、野村は激情家で涙もろく、私心のない人でした。かねてより朝日新聞の反日思想に疑義を唱え、朝日新聞東京本社で拳銃自殺をします。諫死だったのでしょう。

その五年後に証券取引法違反で逮捕許諾請求が出ていた新井はホテルで首を吊りましたが、ベッドの下から野村にもらった短刀が出てきました。三島や野村のことを思い、逡巡したのでしょうか。新井の著書の中の「野村秋介の自決」でこう書いています。

「野村秋介の死は、型(あるいはアイデンティティ)とその再生にかかわる死であって、全く政治的な文化的な死なのである。政治家の中に、政治的な死が全く見られずに、野村氏や三島由紀夫氏によってのみ政治的な死を教えられるということは残念なことだ。しかし、それこそ戦後民主主義というこの国の戦後のあり方だったのである。」

駒場共闘焚祭委員会代表の木村修氏(本書では全共闘Aとなっています)が三島先生という言葉を思わず使ってしまったことに触れ、

「しかしながら、少なくともこの東大で現実にそこら辺にうろうろしている東大教師よりは、三島さんの方が僕は先生と呼ぶに値するだろうと、それで僕は使ったということを許可していただきたい」

聴衆から爆笑と拍手。

この場面は映画を見ると、三島は彼の後ろに座って笑いながら煙草をふかしています。私はこれを見た時に三島の胸中を慮り、目頭が熱くなりました。

フランス文学者で武道家の内田樹は感に耐えぬように言います。

「この討論で三島由紀夫は1000人の学生に対して追い込んだり、論理矛盾を指摘することは一度もなかった」

終始、三島は紳士的で誠実な態度でした。さもありなん、この討論は東大全共闘に対する遺書のようなものだったのですから。三島は学生に対して口舌の徒、という思いはあったにしても反米愛国という点では一致していました。「諸君が天皇を天皇だと、ひと言言ってくれれば、俺は喜んで諸君と手をつなぐ」という有名な発言もここから来ているのでしょう。

「新井将敬事件」は現職議員の自殺という衝撃的なものでしたが、その7年後に出版された新井真理子夫人の「最後の恋文 天国のあなたへ」(情報センター出版局)では彼女が夫の自死を事前に知っていて、その決断を尊重した、あまつさえ、ホテルの部屋に入った瞬間に二本の脚が見えたが夫は植物状態で生きることを良しとしないことを知っていたのでドアを閉めてしばし待った、ということが書かれていました。それはいわば介錯のようなものです。

私は彼らのことを考えるたびに、高校生の時に三島との邂逅によって互いを高め合った執行草舟氏をも含め、三島の檄文にあった、

「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」

という言葉を思い出すのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?