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わたしの秘密

伝道者になった頃

わたしはひとり遊びにハマっていた

ひとり遊びのついでに弟とも遊んでた気はする。
この頃わたしは多分小学校4年生くらいで、弟も保育園に通っていた頃だろう。

とても懐いてくれてた気がする

わたしはムチの影響かどうかわからないけど
1人で遊ぶことが増えていた

学校の友達と遊ぶな、とは言われなくなったけど
学友と遊ぶことは聖書の教えとして適してないことは理解してたからかもしれない。

昔から集会(2時間ほど)に参加して大人向けの話を聞かなければならなかったので、怒られない程度の暇つぶしや現実逃避は得意だった。
二世の人はみんな得意だったんじゃないかな





誰にも言えない現象が私には見えてしまっていた。

一般的にこれを霊感というのだろうか
それはわからない。



でも、JWの組織内でこんなことを言おうものならムチされるのがわかりきっている。罰を貰う。


いえなかったけど、見えてしまっていた。
この頃、とても多感な時期であったのかもしれない。

見える回数が増えて行った

最初見えてた時は演台で話してる兄弟の後ろに天使のはねが生えた天使様のような形が見えてた。

天井をみて模様を数えてると非現実的な声が聞こえてきたりフワフワときらきらひかる何かが話しかけてきたり、そんなもんだった。

1度、御使いがみえる!(天使)と
言ってしまったことがあって酷くムチされた記憶がある。


この頃は特に寂しいっていう思いが強かった。

学校でも一人で掃除をしたり
一人の時間が増えてた。
パソコン室や音楽室、理科室などの掃除をするそのついでに一人で遊ぶことが増えた

どこの学校にもある七不思議の話とか
わたしも好奇心が強かったのもあり好きだった
母には言えないけど好きだった

パソコン室や音楽室理科室なんて
そんな舞台にはもってこいの場所
体育館の掃除なんかも好きだった

わたしは掃除当番以外にも行くようになった
普段は鍵がかかっている。
だけど、どこかの鍵だけを空けておくと好きな時に入れるようになる。

好きな時に入っていった
一人でぼーっとしたり教室を探検したりした
怖く感じるけどそれすらもスパイスとなってちょっと楽しい

いつの間にか何人かで遊ぶようになった
不思議と相手の名前や年齢は気にならなくなった

ただ、一人で遊んでると集まってくるんだ

そのお友達との関係がとても居心地が良くて
家に招くようになる。

本能的にわかっていた
彼らは言葉にしてはならない存在だということを

自由にふわふわと浮かび
自由気ままにイタズラするその姿は私が憧れていたものだった
一緒に遊んで
時には話を聞いてくれて
泣いてれば励ましてくれる
そんな自分にとっての友達だった

家の中に呼んで
一緒に遊んだ
母が来ると消える
それはなんとも不思議だった

団地の周りを追いかけっこしたり
鬼ごっこしたりしてた
ふと気がつくとわたしはベランダから落ちそうになっていたり
高層階の階段から落ちそうになっていたり
とにかく危ないことが増えた

でもその危険なサインに気づかなかった

一人で遊んでたその姿をきっとあのおじさんは見ていたんだと思う

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