見出し画像

第4章 理想の社会

 理想の社会を想像する時、思い起こす記憶がある。
9歳頃、放課後に友達が住んでいる社宅に行き、2階に住む友達のベランダの下から大きな声で「はーなーちゃん。あーそーぼー。」と呼んでみる。友達がベランダから顔を出して「今日はピアノだから遊べなーい。」こまかいことは気にせず、その瞬間にお互いの都合と気分で時を過ごす。

 今、私は当時のように大きな声で誰かに気軽に声をかけて相談することが減った。自分でどうにかしなければ、事前準備、段取り、時短に追われ、頼る時には契約を交わして明確なルールにのっとる必要がある。自分の身近な距離で、今この瞬間気楽に頼れる人の思い浮かぶ顔は限られ、もしその人がいなくなった時を想像するととても不安で孤独を感じる。

 図3は理想の社会を筆者が空想し、理想の社会で交わされるであろう会話イメージを記した。このようなことが当たり前になり、「ついでにやろうか。」が増えるとうれしい。「ついでにこれやってくれる。」はタイミングによりできるが、断ることで険悪になるついではついでではない。

 ちょっと助けてほしいことを、できる範囲でついでにやってみる。ついでを「良い機会」とか「良いきっかけ」と捉えて楽しむ仲間でついでをめぐらせる。できない、やらない、やりたい、やってみる、失敗、もっと、を気兼ねなく言い合える前向きなついでをめぐらせる社会を理想に描いている。

 ついでがめぐる社会が実現すると、目的がある時に自然とついでに出来そうなことを考えて声を出す。たとえば、「明日会社から早く帰れるから山田さんとこのポチの散歩いこうかな。山田さんに声かけてみよう。」「明日の塾のお迎え、たくみくんも一緒に迎えに行こうか。」「明日はうちの駐車場空くから洗車したい人いるか発信してみようかな。」など。犬の散歩がしたくて仕事を早く上がるなど、ついでで始めたことが主目的を上回る可能性もある。

 ついでに散歩、ついでにお迎え、ついでに学校、ついでに仕事、ついでに生活、ついでに生きる。気楽で前向きに声を出す社会はきっと余白で受け止められる。「あの人のついではあんなことをするんだ。」「私のついではこれかな。」できることをできる人が気楽についでをめぐらせると、ゆるく心地よい社会になると想像する。そして、ついでを行う前提として余白が必要である。心地よい社会に余白は必須条件なのである。


■その前とつづきを読む

第1章 エグゼクティブサマリ
https://note.com/miki_fujitani/n/nf92c620c3b8a

第2章 はじめに
https://note.com/miki_fujitani/n/n6f3031081902

第3章 事業の背景
https://note.com/miki_fujitani/n/nc0c2d053b447

つづく

#創作大賞2024 #ビジネス部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?