"井の中の蛙大海を知らず"。本当に大海を知らない事は蛙にとって不幸なのか?後編

前編では、ふじもん先生の体験したことから私が学んだことを話した。
後編ではホセ・ムヒカさんの言葉から考えた事、そしてティックトックで見かけたとある動画の一言について書こうと思う。
誰かを否定するためにこの文章を書いているのではなく、単純に私の中で思ったことなので許して欲しい。

前編にも書いたように、インドの子供たちの笑顔を見て、ふじもん先生に問い掛けられた事で私は幸せというのはなんなんだろう?と思ったのだ。

それを言うのも、私は子供の頃から常に貪欲で、今でも欲しいもののために既にバイトを始めて必死に働いている。毎月発売されるグッズの予約、毎月8万以上のお支払い、メルカリで見かけて衝動買いした物のお支払い、友達と遊ぶための費用、インスタ映えしそうなお高いアフターヌーンティー。

次から次へとお金が飛んでいく。今もお支払いに追われて焦っている。
私はこんな生活が苦しかったけど、これがオタクの使命だと本気で思っていた。自分が苦しい思いしてまで推しにお金を使って当たり前だと。

でもふじもん先生の活動や、ホセさんの言葉を聞い私は、違う。この幸せの形は私の幸せの形には合わないと思ったのだ。

もちろんオタクは経済を回していると沢山言われているが、本当にそうだと思うし、推しのために人生をかけてお金を使う事は間違っていないし、それが幸せならそれでいいと思う。ただ、何となく買ってしまっているその無駄遣いは誰かを元気付ける為に使えないのか?と疑問に思ったのだ。

ホセ・ムヒカさんの持続可能な開発会議でのスピーチをご存知だろうか?ここには全文は載せられないが、調べたら出てくるので本当に読んで欲しいと思う。
その中から私が特に響いた言葉を何個か抜粋させてもらおうと思う。

『ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。…
世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?』

『消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
…商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!

…人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。』

『貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ』

『働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。

こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。

「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。』

引用元: "世界一貧しい大統領"ムヒカ氏が語った、「本当の貧しさ」とは?より引用

ここまでの文章、すべてに赤線を引きたいくらい影響を受けている。

私は思った。
グッズを何十個も買う為の10万円は、誰かを幸せにするのに、"誰か"の幸せと笑顔を守るのに充分な金額なのでは無いだろうか。

無理して働いて何かを買ってお支払いに追われて死んでいくような人生は、社会に消費されているだけではないだろうか。
それが本当に正しい幸せなのか?と考えた時、
私にとっては違うと思った。
欲しい物があるから働く事を否定している訳では無い。社会が凄まじい勢いで発展していく中で、何十年もこの人生を続けていいのだろうかと疑問を抱いた。

私は今幸せだからこそ、この自分の環境の幸せさに気づけたからこそ、周りに気を配ろうとできるんだと思う。
苦しい時にオタクを辞めろなんて無理だった。自分が守りたいのは推しの笑顔だけだった。
アニメは沢山の人の命を救っていると思う。だからみんなも自分を、自分の好きな物を大事にしてから誰かを想ってくれればそれが1番の幸せへの近道だと思う。

だが、インドの子供たちの笑顔を知って欲しい。お金が無くても、家が汚くても、幸せの中で生きている人が沢山いたのだ。

お金があることが、家が綺麗なことが、頭が良いことが幸せなのでは無い。それが誰かの幸せであっても、他の誰かにとっては幸せでは無いかもしれないこと。
不幸は、お金が無くて物を持っていないことではなく、貪欲で常に満足ができないことが不幸なのだと。

それを何も知らない私にふじもん先生と
ホセ・ムヒカさんは教えてくれた。

今日ティックトックで「水族館のしろくまは広大な土地を知らないから可哀想だ。」というような動画と文章を見た。私は絶対に違うと思った。

白熊に感情があるないに関係なく
狭い場所にいる=不幸では無い。
日本人特有の"可哀想"という他人事のような言葉は浅はかで汚いと思った。
しろくまは広大な土地を知らないからこそ、その中での楽しみを見つけられる。水槽の中でぐるぐる回ることかもしれないし、外の世界には何があるんだろうと希望を抱くことも出来る。知らないことは決して残酷ではないのだ。

"井の中の蛙大海を知らず"というのは、日本人に向けて使うべき言葉なんだと思った。大海を知ったつもりになって、しろくまを可哀想だと思わないで欲しい。
まだ上手く言葉に表現出来ないので、いつか私の語彙が磨かれた時に誰かの心に訴えかけられたらいいなと思う。

私はここまで語った出来事を通して、まるで宇宙を見た時のように自分の悩みがちっぽけに感じた。
既読無視?未読無視?お金が無い?頭が悪い?死にたい?私は世界を知ろうと思うまでずっと自分の殻に引きこもっていた。死にたかった。
でもそんな些細なことで不幸になったりしたくない。

私は幸せになるべき人間で、それは私だけじゃなくて全ての人間が対象であること。
私はもっと生きていたい。まだ15歳。もっと沢山のことに感謝して、意欲的に学んで、新しい世界を知りたい。偏見に塗れている私を変えたい。
それがたとえ「良い高校生」の一例になるんだったら勝手にしてもらって構わない。
バカ真面目になって、一生懸命誰かの幸せの為に生きれる人になりたいし、それを仕事にしたい。


今日1日でお金の使い道や将来の考え方についてガラッと変わった。Instagramが無くなれば、私はグッズを集める意味が無くなる。私は自己顕示欲、自己承認欲求に塗れた日本から抜けだしたい。もっと有意義な活動に使えるように、少しずつ貯蓄していこうと思い始めた。

いつか夢であるドイツ・ベルリンの壁を自分の目で見たい。ふじもん先生が体験した国々にも足を運んでみたい。
音楽も歴史も大好きだから、沢山の新しい音楽と今まで知らなかった国の歴史を知り尽くしたい。日本の常識を変えたい。

私の夢は歴史学者、歴史研究者になる事である。誰かを救うことでもある。歌手でもいい。詩人でもいい。教師でもいい。政治家でもいい。どこかの国の英雄でもいい。私は歴史学や近代の政治的問題を通し、誰かの幸せを尊重できる社会を作る仕事に携わりたいと思う。それが私の幸せの答えだ。

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