当館収蔵の作家紹介 vol.10 林武(はやし たけし)
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当館には近代の日本美術を代表する作品を数多く収蔵しています。展覧会を通じて作品を見ていただくことはできますが、それがどんな作家、アーティストによって生み出されたものなのか。またその背景には何があったのか。それらを知ると、いま皆さんが対峙している作品もまた違った感想をもって観ていただけるかもしれません。
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この連載で今回取り上げるのは林武。明治に生まれ大正期から画業において励み、その当時から人気のあった画家です。三木美術館では今回展示する『花図』のほかにもう1作品を所蔵しています。いずれも強いタッチの筆づかいと華やかな原色がキャンバス上に溢れています。
晩年には国語教育にも情熱を傾け文化勲章も受章しました。
林武氏の作品は、2024年8月24日までの展覧会『どうしてアートは花を描くのか』でご覧いただけます。
林武 (Takeshi Hayashi) 1896-1975
東京で6人兄弟の末っ子として生まれる。父は国語学者、祖父は歌人、曽祖父は水戸派の国学者というインテリ家系。小学校の同級生に東郷青児がいるという偶然。そして、この時の担任の先生に東郷と共に絵の才能を見出されている。その学校もすごいがその2人の才能を見抜いた先生もすごい。父は子供が6人もいながら、家庭を顧みない研究家タイプなので子供達全員が牛乳配達をやらされるという今だと児童労働問題になりそうな家庭で育つ。
1910年(14歳)早稲田実業に進むが働きながら通っていたので体を壊し中退。さらに1913年(17歳)東京歯科医学校に入るも、翌年また中退。さらに1920年(24歳)日本美術学校に入るが、ここも中退。という中退人生。1921年(25歳)二科会で入選し、同じ年に結婚。妻は献身的に夫を支えるが二科会も1930年(34歳)に脱退。その後独立美術協会を創立。この会は最後まで所属し続ける。1952年(56歳)安井曾太郎の後を受けて東京芸術大学美術学部教授に。
1967年(71歳)文化勲章受章。絵画的には影響を受けまくる人で、岸田劉生から始まり、セザンヌ、フォービズム、ピカソ、ブラックなどの影響を受ける。そこで一旦固まったに見えたが、戦後はビュッフェなどの影響を受け、だんだんゴッホのように厚塗りの作風に変わっていく。モチーフ(画題)も少女からバラなどの静物、富士山などの風景など、いわゆる油絵で描かれる代表的なものが多い。原色が多く、緊張感のある構図が多い。本人は絵の印象通りで情熱家で集中力が尋常ではない。モデルが「もう立ってられない!」となることもあったとか。晩年の絵では干物を描いているが、これは生きた魚だと描いているうちに腐ってしまうから干物にしたといわれるくらい。モデルも干物のように立たせたら立たせっぱなしだったのでしょうか? 最晩年は父が国語学者だったこともあり、1971年(75歳)に国語問題協議会会長となり「正かなづかひ」(旧仮名遣い)の復権を訴える。絵画に対してもそうだが、国語教育に対しても情熱的であった。
[企画・編集/ヴァーティカル 作家紹介/あかぎよう]
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