見出し画像

きっと届かない

最近になって ようやくSNS(X)を始めました。
いまやX利用者は50代中心と言われているようで
良識のないユーザーが横行する、治安の悪いトコロと
巷では言われているとか、いないとか。

大好きなYouTubeチャンネルのファンの皆さんを中心に
ゆるくつながるようになりました。
それぞれ、住まう地域も、年齢も、職歴もなにもかも
異なることはもちろんなのですが
中には「難しいな」と感じる方もいらっしゃるものです。

自分も疾患を持ちながら手帳保有していて
紆余曲折しながら「それなりに生きている」わけで
順風満帆な人生を歩んできたとは 言い難いです。

裕福とは言えなくても、両親・家族は仲が良くて
問題にあたっては、団結して家族を守る姿勢を示してくれる
温かい環境でした。
もちろん壮絶な親子げんかもありましたが、
結局は愛情で繋がり
暴言は気の迷いから、そう暗黙の了解があって 甘えを許されました。

私は愛されて育った自覚はありますし
親兄弟を大切にする気持ちもあります。

親も若いときは理想を押し付けるところもあり
そこから「私は美人ではないし、身体が弱くて、人並みでない」
呪縛のように今もコンプレックスに苛まれることも当然あります。


問題に戻ります。
人によっては家庭そのものが崩壊している中で育ち
自分の存在そのものを否定したまま大人になる方も
いらっしゃるのは知っていました。

私は残念ながら
その感覚と孤独と劣等感などを体感することもできないし
共感するにも限度があります。

個人的興味からカウンセリング手法を習ったこともありますが
十分に活かせるほどには至りません。

私は「そうした問題を抱えた方に 向きあった時
自分が当対処すればよいのか」を知りたかったのです。
「話下手で、コミュニケーション能力に劣る」と自負があるから。


そのXで繋がった方は「適応障害/ASD傾向」診断を受けているそうです。
自分と違う病状は、正直理解が及ばないのです。
医師でもないので、仕方がないとはわかっていますが。

その方がXの中での人間関係でトラブルに巻き込まれ
ひどく自虐的になっているご様子でした。
恐らく私と世代は同じくらい(40~50代くらい)だから
なおのこと、ちょっと放っておけなかった。

・・・こんなことなら〇歳のあの頃、首を吊っておけばよかった
・・・今は自分にひたすら罰をあたえる
・・・プラスチック絆創膏だらけ

これを目にして思わず、書き込んでしまった。

「自傷行為とか、止めよう?
 私達世代は治りも遅いんだから・・・
 大声で歌って、いっぱい泣いて
 へとへとに疲れて、少し眠りましょうよ。」

追記
「私も青い手帳持ちの50代です」


私がなぜ、重苦しい気分を味わっているかは
よく解っているんです。

ひとつは私の場合、根っからの<エンパス>気質なんです。
 他者の感情を自分のものとして感じ取る 
 異常に高い共感能力に際立っているから。

そして
 自傷行為が何たるかを、私が知識なしに
 「止めとこ?」と言ってしまったことへの深い後悔。


自傷行為が「心の鎮痛剤」として作用するなんて、知らなかった。

私は言葉で自虐してしまいがちですが
このタイプの人は「痛みを覚えることで、心が鎮まる」のだという。


やってしまったか。でも、今更撤回して
POSTを削除するのも、なんだか失礼な気がする。


でも、本当に自傷行為なんてして
仕事場でそれを、周囲が見逃すわけもないし
「どうしたの、怪我いっぱいして」ってなりますよね。

「いやぁ、ウチの猫お風呂が嫌いで、昨日さんざんな目に」

これで隠し通せるうちは良いけれど、
頻度がもしも上がれば 無理があります。


しないに、越したことはない。
肌がきれいな状態の姿の方が
疾患持ちでも、120%で 社会になじめて 生活しやすい。

だから、そういうつもりからした 声掛けだったけれど。


私のお節介な思いは、彼女にはたぶん届かない。

自分を「とにかく追い込むことでしか、生きている実感が得られない」
そういう傾向を感じて、こちらが見ていて辛くなる。

私とは真逆のタイプだから。
 自分が辛くなること、すべてに目を閉じて
 できるだけ無関心でいたい
 人と関わると傷つくから、距離は広めにとっておこう

ダメダメなんだけど、私が唯一守っているのは
「自分を少しずつ、愛してあげよう」って。


まあ、ホントに、お節介以外の
ナニモノでもありません。
私自身の、他者をつい放っておけずに
構ってしまいがちな性質こそが
一番厄介ですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?