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ハッピーエンドってなんだろう

人生は素晴らしいものなのか、ただ悲しいものなのか。

主人公は考えるんだけど、最終的に「それは分からない」と、曖昧な結論を出していて。

でも、そこにいたるまでの過程や見せ方で、「分からないということは別に悲しいものじゃないし、むしろ分からないまま、焦らずに置いておくこともいいんじゃないか」って教えてくれる。

これは、友人による映画『フォレスト・ガンプ』の紹介文。さっきLINEで送られてきた。

『フォレスト・ガンプ』は、94年公開、トム・ハンクス主演のアメリカ映画。監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキスらしい。

友人が私にこの映画を薦めてくれた理由は、つい先日私が、こんな話をしたからだと思う。

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あいも変わらず苦手で、できれば避けたいことが、「意見が食い違う相手と、とことん話し合うこと」だったりする。

とことん話し合うのは、自分の正しさを誇示するため、相手を服従させるため。なんて攻撃的な考え方をしている人は、この令和時代、たぶんそんなにいない。

どっちかというと、「落とし所を見つける」「お互いが納得する」ことに、とことん話し合う重要性を置いている人が多い印象を、勝手ながら受けている。それを「その場で」期待されることが嫌だから、私はとことん話し合うことを、じつは避けたいタイプだったりする。

お互いが納得している状態は、一緒にいる上での心地よさに直結する。だから、お互いに納得することが大切、という考え方はよくわかる。

けれどじつは、納得していない状態でも、一緒にいることはできる。……という話は、そういえば以前ブログにも書いた。

・参照:仲良くい続けるコツ

私が、とことん話し合うことを避けたいのは、その場その場の「納得感」で「一緒にいるかどうか」を左右したくないからだったりする。

令和は……いや令和よりもっと前、私が子どもの頃から、「お互いが納得しているという『形』が大切にされすぎて、ゆえに、その場で納得し合えない状況が怖がられすぎている」風潮を感じていた。

中学3年間は、職場体験で自分が卒園した幼稚園に「中学生先生」として通った。

そこで、ケンカした子どもたち両方に「ごめんなさい」を促し、「仲直り」と微笑んだ先生をたくさん見たし、自分もそうしていた。よくある光景だと思う。だけど、何かそこに違和感を抱えながら、右倣えをしている自分がいたことを白状したい。

「同じタイミングで納得すること」にずっと違和感を感じている。なんで同じタイミングじゃなきゃいけないんだろう。同じタイミングで理解しようとすることが、そんなに重要なんだろうか。

あの頃のモヤモヤの正体。それは、「人が何かに納得するときに、時間軸を持つことを許されたかったんだ」と、最近になって気づいた。

……というのが、友人に話した内容だった。でもこの話を、力強く言えなかった。なんとなく、「とことん話し合うことが嫌だ」という話が、今の世の中の流れと逆行している気がしたからだと思う。でも私の、切実なものであるのは確かなんだ。

そうしたら、冒頭のような内容のLINEが送られてきたんだけど。最後の文は読み返すと、まるで私を励ますような言葉にも感じた。

「分からないということは別に悲しいものじゃないし、むしろ分からないまま、焦らずに置いておくこともいいんじゃないか」

ハッピーエンドってなんだろう。

とりあえず、『フォレスト・ガンプ』を観てみたいなと思いました。

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