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ロマンチックと、クリスマスキャロル

彼女が電車で読んでいた本、季節外れの『クリスマスキャロル』。ディケンズが好き、自分の心に従う勇気のある彼。彼女によく似ているのは、主人公のスクルージおじさんの方、愛を諦めてふてくされる彼女に。

隣に男の人が座った。新小岩駅で、その人は彼女の隣に座るやいなや「あ」と小さく声をあげた。驚いて思わず彼の顔を見やれば、ごそごそとバックを漁りB5の文庫本を取り出した。「僕も好きです」。真っ白な歯をのぞかせてその人は笑った。彼の右手にもクリスマスキャロル。手が綺麗、彼女は全然違うところに目がいった。クリスマスキャロルがどんな話でどうしてその本を持っているのか、なんてどうでもよかった。彼がどんな人なのかの方がずっと興味が湧いた。

ロマンチックを諦めなければきっと、彼とおなじ御茶ノ水駅で降りていた。でもこれから友人と待ち合わせをしている彼女には、それができなかった。いやちがう、友人には「5分遅れます」と連絡すればいいだけの話。だから、ここが電車じゃなくて、綺麗な川の流れる堤防の下だったらよかった。そしたらきっと彼女は「ここら辺にお住まいなんですか?」とか「お仕事はどんなことをされているんですか?」とか言っていたと思う。いやでもやっぱり、彼女はそんなことはやっぱりできなかったと思う。スクルージおじさんのように「ロマンチックと無縁」な人生をゆっくりと選んで、しわくちゃなおばあちゃんになってから「クリスマスなんてなにが楽しいんだ」と泣きながら箱根駅伝を見る、そっちの方がよっぽど彼女にはしっくりきた。

ロマンチックは目の前に転がってきたりしない。いつもきっかけだけが転がってきて、ロマンチックにするかどうかは自分次第だ。「僕も好きなんです」と笑った名前も知らない彼。たぶんもう二度と会うことはない。市ヶ谷駅でまたさっきとはちがう男のひとが電車に乗り込んできて、彼女の隣に座った。その人もまた鞄の中からごそごそと本を取り出し、膝の上に広げた。

そっと横目でその本を見れば、数式と解説の無機質な日本語の羅列が視界に入る。ほら、ロマンチックなんて落ちていない。

彼女の膝下、『クリスマスキャロル』だけがロマンチックだ。

(※フランスではエッセイは3人称で書かれると聞いて主語がsheの話を書いてみた)


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