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人はなぜ写真を撮るのか

映画『ブレード・ランナー』に出てくる人造人間=レプリカントは、なぜか写真に執着しています。ヒントは「製造後数年たつと感情が生じるため、偽の記憶を移植してそれを安定させる」という設定。反乱を起こして逃亡したレプリカントは写真を持ち歩いています。つまり、写真は記憶の象徴であり、また人間性の象徴だというわけです。

ところで、ブレード・ランナーである主人公デッカードについては「レプリカントではないのか?」という説があります。その根拠は、彼が見たユニコーンの夢が・・・と言う話を始めると写真ではなく映画の話(ただし当初の劇場公開版以外の、ですが)になってしまうのでやめておきますが(苦笑)、とにかく彼の部屋にあるピアノの上には所狭しと写真が飾られているのです。

まあ、特に写真を趣味としていない人でも、とにかく皆さん写真を撮るのが好きですよね。旅行などの非日常的な場面は言うに及ばず、日常の何気ない場面でも。育てている花や、ペットや、その日の空・・・。でも、なぜ撮るのでしょうね?誰に言われたわけでも、まして義務でもないのに。

その答えは、「何を撮るか」ということより「何かを撮る」ことで「自分は、その日そのとき、確かにそこで生きていた」という証拠=記憶を残したいということなのかもしれませんね。そう、まるでレプリカントのように。

反乱を起こしたレプリカントの首領ロイ・バティーは死ぬ間際にこう言います。

「そんな思い出もやがて消える。雨の中の涙のように」

だとすると、「写真を撮る」というのはかなり哲学的な行為だといえそうです。もちろん、私が日頃教えている高校生たちはそんなことまで考えてるわけではありませんが、そこに気づくことができると、また一段写真が深くなるのかもしれませんね。

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