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写真をただ「楽しむ」ことは許されないの?

「イマドキの・・・」というシリーズは一休みして、今回はこれをタイトルにします。内容的には写真部の話なんですけどね。要するに、写真の楽しみ方をあまりに入賞とか、プロの指導を受けるとか受けないとかに還元するのはどうなんでしょうか?もっとシンプルに「ただ撮ること」や「ただ見せること」が「楽しみ」じゃいけないんでしょうか?というのがその真意なのですが。

さて。これまでにもチラホラ書いたように、高校写真部の顧問の先生にもいろいろな方がいらっしゃいます。

「ウチはなりふり構わず賞取りに走ります!『自由に撮る』なんて幻想です!知識と技術無くして写真なし!!(大意)」と公言して憚らない、ビシバシ生徒に「仕込む」方から、「あ、ウチはコンクールとか一切やりません。とにかく地域に出て撮影します」という方まで、本当に幅は広いのです。

私はといえば、まあその両者の中間ぐらいかなあ、という感じ。そもそも、顧問が全てその部のカラーを決めるべきではない(顧問=監督は、部員=選手ではありません)と思いますので。率直にいえば、前者については「理解はするけど、共感はできない」。というか、「ぶっちゃけ性に合わねえ。それに、そんなことしたらブラックになるからやらねえ(できねえ)」(・・・ガラが悪くてすいません)が本音。

そりゃまあ、全く何も教えずに自由に撮れなんて言われたって生徒はどうしたらいいかわかりませんので、私もある程度は教えますよ。感性だけでいい写真がとれるわけじゃないことぐらい、なんぼヘッポコ顧問の私だってわかってますがな(苦笑)。だからといって、「ビシバシ仕込む」といえば聞こえはいい(?)けど、それって生徒の個性を傍に追いやって顧問のクローンを作るだけじゃないのかな〜と危惧するわけです。

もちろん、顧問の指導方針に「正解」はないし、ついてくる生徒がいる以上はそれでよろしいのでしょう。でもね。「楽しさ」は競争の向こうにある、という単一の価値観もまた、写真をつまらなくすると思うのですが、さていかがでしょうか。

次回は・・・まだ決めてません!いずれまた!


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