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あ、共感とかじゃなくて…一方通行な僕らの承認欲求

こんにちは、おがくずにゃんこです。

先日ホックニー展を観に東京都現代美術館@江東区に行ったのですが、面白い展示がありました。


一瞬(?)となりますが、共感じゃないってどういうことなのかと興味を唆られて覗いてみたら、想像の100倍良い展示でした。(開催は2023/11/5まで)

どんな内容なのか。ウェブサイトの冒頭が端的にコンセプトを示しています。

SNSの「いいね!」や、おしゃべりの中での「わかる~~~」など、日常のコミュニケーションには「共感」があふれています。共感とは、自分以外の誰かの気持ちや経験などを理解する力のことです。相手の立場に立って考える優しさや思いやりは、この力から生まれるとも言われます。でも、簡単に共感されるとイライラしたり、共感を無理強いされると嫌な気持ちになることもあります。そんな時には「あ、共感とかじゃなくて。」とあえて共感を避けるのも、一つの方法ではないでしょうか。

東京都現代美術館


私は心当たりがありすぎで、コンセプトを理解した時点で胸が締め付けられました。 

世の中、薄っぺらい共感で溢れすぎてないですか?

私も最近ペケッターランド(X, 旧Twitter)でこんなつぶやきをしています。

展示のコンセプトは「共感の無理強い」に端を発していましたが、奇しくも私は「安易な共感」に問題提起していたといえるでしょう。少し角度は違うけど、どちらも現代特有の悩み。そもそも共感って何でしたっけ?


展示内容としては、「共感」に関連した様々なアーティストの作品を展示しているという形式でした。
どれもパッと見では何を言いたいのかわからず、安易に良し悪しを評価するのではなく、これは何だろう、こういうことかなと考え続ける、そんなモヤモヤしながらも心地よい空間でした。

作品の一例

共通メッセージとして、安易に答えに飛びつくのではなく、考え続ける。その大切さを教えてもらった気がします。

こういったスタンスのことを、ネガティブ.ケイパビリティというそうです。恥ずかしながら私も知らなかったので、本を読んでみようと思います。


ここで、最後の展示を少しネタバレ。

会場の入口にいくつか設置してある電灯は「ここに居ない人の灯り」で、様々な理由で孤立している人が遠隔操作している灯りです。

もしこの記事を見てくださっていれば、こうして、ちょっと繋がることができたでしょうか。


すべての展示を通して、安易にわかったとも、共感したとも言えません。ただ少し胸が締め付けられる状況について、言語化してみたいと思い記事を書きました。

いや、そんな綺麗なものではないですね。結局noteに記事を書いたり、ペケッターランドにつぶやいたり、インスタに投稿するのは、そしてそれらにいいねをつけるのは、「承認欲求」という生存本能に基づく行動であり、一方通行的なものでしかないのかもしれません。

その先にいる生身の人間を、デジタル時代にどうやったら豊かに想像できるのか。そしてどういう繋がりが本当は適切なのか。

考える足がかりとして、とても素晴らしい展示でした。


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