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<初演時脚本家コメント>アンドロイドは毒をも喰らう2021

劇団三毛猫座の第六回本公演『アンドロイドは毒をも喰らう』の公演が本日から始まります。
この公演は2018年度に上演した三毛猫座の代表作をリバイバルしたものです。初演の際配布したものに、脚本の諏訪原早紀の作品に対するコメントが掲載されていました。

今回は再演に当たって、その文面をこちらのnoteで公開します。以下から、諏訪原による初演時のパンフレットの挨拶と、台本のあとがきです。

パンフレット挨拶

「教室というのは、そこを飛び出してから振り返ってみると、非常に奇妙な空間に感じます。
その場所へ毎日通うことも義務であり、その内側で居場所をつくることも義務であり、義務を果たせなければ、「生きられない」と宣告された気になる。
この作品は、そういう“教室”という場所を、外から眺められるようになった今の視点から執筆したものです。
登場人物たちは、それぞれの義務を果たすために、見せるための自分を演じ、もがきつづけている。世界は壁によって切り取られ、その中で認められることにこだわり、“逃げる”という発想さえ浮かばない。
大人になった今も、その壁が遠くなって、見えなくなっているだけなのかもしれません。
思い出が、印象的なセリフから始まり、ワンシーンごとに、繰り返し思い返すものであるように、このリフレインからなるお話が、皆様を郷愁の彼方へとお連れできますように。

台本あとがき

はじめに、今回の公演へのご来場、ならびに台本の御購入、心より感謝致します。「アンドロイドは毒をも喰らう」を執筆させていただきました、脚本の諏訪原と申します。
黒歴史、なんていうものを持っている人の大半は、学生時代にそれを築いたんじゃないかと思います。
学生時代は、本当に閉塞的な世界で生きなければならないもので、しかも全員が思春期ですから、周囲は、皆して自分の確固たる居場所をつくるのに必死になっているわけです。他人からの承認が欲しいのに、誰も他人なんか見ていない。そうなると承認欲求は尽きませんから、どんどんアピールは強くなって、自分は特別だなんて思い込んだりして、髪型を奇抜にしたり、キャラ設定を作り込んだり、頭がおかしくなったように馬鹿みたいなことを言って奇人を演じてみたりする。
この、クラス内でのキャラ確立が色濃く求められるようになったのは、お笑いブームが起因しているなんて説もありますが、何にしても、私くらいの世代の人間は、元ある性格よりすこし盛った自分を演じた経験が、一度くらい、あるんじゃないでしょうか。
まるで、性格をプログラミングされた、アンドロイドのように。
この作品を執筆するにあたって、自分の青春時代を振り返ってみましたが、やっぱり何をするにも、教室の中には、何か目に見えない圧力みたいなものがあったように思います。ですが、その正体が何なのか、というのは、誰もはっきりとはわからないことで、誰もが何となく、自分なりの回答を持っているものなんじゃないかと思います。この作品も、群像劇というスタイルをとっていることもあり、9体のアンドロイドそれぞれが、それぞれの知っている事実に基づいた、真相を持っている。そして、全員の共通認識として掲げている真相なんていうのは、とてもふんわりした状態で、腫れ物のように、誰も突き詰めようとはしない。クラスの空気って、そういう“何となく”でできているものなのかな、と感じます。
御覧くださった皆様が、10体目のアンドロイドであるように、このクラスの一員として、自分で見て感じたことに基づいた解釈が、生まれていればいいなと思います。
最後になりますが、今回の公演にご協力くださいました皆さま、主宰・演出のnecoさん、足を御運びくださったお客様に、深く感謝申し上げます。

2018.8 諏訪原早紀

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