見出し画像

フィナーレ


最後の日の朝、消え入りそうな体を起こして、彼女は髪の毛をとかし、化粧をした。

いままでで一番しずかな朝だった。
透けるカーテンを見つめながら、彼女は「光の粒子の、一粒ひとつぶまで見えそうね」と言った。

すべての準備が整うと、彼女はコップ一杯分の水をのみ、リュックを手に取った。
まっすぐに玄関へ向かう。
靴箱を開ける音、靴を落とす音、
つまさきを交互に鳴らす音。
ぼくは音の方へ近づく。

彼女はそれに気づいていた。
気づいていたから、ゆっくり振り返った。

見慣れた顔。
見慣れた。見慣れたはずなのに、
これから先、目を閉じる毎に、正確な形じゃなくなっていく。

いつもとまったく同じ動作で、彼女は両手を広げた。
ぼくもそれに応えた。
よくわからない感情がせりあがってきて、いつもより力がこもった。
彼女は抱きしめ返さなかった。

ただ一言、腕のなかで「本当の終わりは、きっとこんな風に穏やかなのね」と言った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?