ジョン・ライドンとPIL/音楽が「音を楽しむ」でなくなった時(好き勝手な試論)
先日、シド・ビシャスを演じたゲイリーオールドマンのことを少し記事にした。
それで思い出した。みけ子はセックス・ピストルズは特にアルバムを買って聞いたりはしなかった。しかしその後にリーダーだったジョン・ライドン(ピストルズの頃使っていたジョニー・ロットンは芸名)が結成したバンド「パブリック イメージ リミテッド/PIL」のLPは買って聞いていたんだよね。確か「メタルボックス」とか言う金属の缶に入ったアルバムだったと思う。
話題になっていたアルバムであったし、FM 番組で耳にした感じが良かったので、セカンド エディションと名付けられた(通常のLPレコードの紙ジャケットの形をした)缶入りでないLPを買った。ピストルズ解散後にジョン・ライドンが結成したバンドが出したアルバムだと言うので、当時はロックファンの間ではかなり話題になっていたアルバムだった。それは2枚組のアルバムで、缶入りのバージョンは輸入盤しかなかったかも知れない。
だけど、先日ゲイリーオールドマン演じるところのシド・ビシャスのことをここで書くまで、実はPILの事は全く忘れ果てていたのだ。ただ、当時の記憶を辿るとちょっと暗い感じのベースのリズムが続く曲に、ジョン・ライドンのわざと調子を外したシャウトヴォイスが絡むあの独特の音楽が頭に甦ってきた。忘却の彼方だった記憶が甦って、突然頭の中でリフレインし始めたのだ。これには自分でもちょっとびっくりだった。
思い出すと、全く大衆向けではない音楽だった。だけど当時のロックファンの中ではかなり評価が高かったんではなかったか。もう本当に記憶が定かでは無いんだけれど、このアルバムを買って聞いていたのは10代後半代の頃だったかと思う。まだ実家暮らしだった頃だよ。
セックス・ピストルズは、当時のロック界の音楽的潮流の中でも全く革新的でこれまで聴いていたいわゆるオールドウェーブのロックを、一瞬にして時代遅れの音楽に感じさせるような凄いものだった。
これまであったロックミュージックより、ずっと鋭く突き刺さるようなチューン。1曲がとても短く、ギターソロやら長いイントロはナシ。歌詞も直接的。つまりは余分な贅肉を全て削ぎ落としたようなシンプルでストレート、こちらに斬り込んで来るような音楽だ。
ニューウェーブ自体がもう既に、音楽が音楽である事を否定するような音だった。それがその時代の主流になり、音の潮流だった。音楽の歴史的な経緯を断ち切るような、これまでの音楽を全否定するような。
ロックが心浮立つようなハイな音楽ではなく、地を這うような自己の内側を内省しひたすら心の奥深く潜り込むような音楽。デヴィッドボウイが「LOW」を発表したのはそんな音楽の転換機だった。
音楽が世界を動かす。歴史を大きく変える。そんな事実に直面して、今更音楽が気持ちを他所に向けるための、目眩しではいられないことを突きつけられた気分だった。ジョン・ライドンのメロディに乗ることを拒否したような歌声。何か呪術のような呪詛のような歌声。これが音楽か。音楽は「音を楽しむ」ものではなかったのか。
好きな音楽ではあるが、聞いていても全く気分が上がらない。作業のBGMになんかならない。PILのメタルボックスを改めて聞き直して、音楽は一体どこに向かっているのか、ということを考えた。1979年に発売されたはるか昔のアルバムではあるが。
↓シャガールのパリで開催された個展のポスター。額付きですぐに飾ってお楽しみいただけます。