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あの頃は「冬はスキー」がデフォルトであった

私、若い頃は典型的なインドア派でね、外でスポーツとかは全然やらない人だった。活動的に動くのが普通の20代の頃でも、体を動かす事なんてほぼ何もやってなかったよ。あんまりそういうの好きじゃなかったんだね。必要があれば長距離でも歩くし、普通に自転車にも乗ってたけど必要があってそうしただけで、体を動かすのは心底億劫だった。

東北の仙台に住んでいる訳だから、冬になったらスキーって当時の若者ならば当前だった。だってあの頃は20代で就職したら最初のボーナスで車を買うのは当たり前(男子は)だったし、市内からでもスキー場まで最短で1時間以下の時間で行けたんだから。景気も良かったし、冬になってあんなにブームになっていたスキーをやらないなんて考えられない、って感じだったよ。

だけど私、若い頃から普通一般に人気ってものに反感を持つ方で、「え?なんで冬だからスキーなの?冬寒い時に雪がいっぱいのところにわざわざ行って雪まみれになるなんて絶対ヤダ❗️」とか思ってる人だった(笑)。冬に雪がある場所に行くなら「雪が見える場所で温泉♨️」としか考えない、当時としては変な女子だった。(←今と変わんねぇわ)

余談だが、みけ子の2歳年上の兄の「兄みけ」(みけ子一家の内輪ではこう呼ばれている)は大学で山形に暮らしていたのだが、兄みけも私と同じくインドア派で「山形に住んでて冬にスキーやらないと干される」と言っていたな。まぁ兄みけは中学の時の学校でのスキー教室で骨折したという苦い経験のある人だったけどね💦

自分もでもファッションとかは意識していたよ。おしゃれするの好きだったし。あの頃はDCブランドの大流行りの頃でね、コムデギャルソンとかY`sとか大流行りだったからね。流行りの洋服は随分買った。

そうだね、あの頃は「私をスキーに連れてって」なんて映画も大ヒットした。三上博史と原田知世だったかなぁ?ユーミンの曲がフューチャーされてておしゃれで流行、トレンドの真っ只中って感じだった記憶があるよ。

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私ね、このいわゆるその「バブル真っ只中」にいわゆるギョーカイで仕事してたんだよね。仙台だし地方だから大したことないって言えば本当に大したことない話だ。たまたまそういう業界に転職出来て僅かに2年弱、仕事をしていただけだ。コンサートやイベントプロモーションの会社だった。

その会社では東北地方での☆ーミンのコンサートを仕切っていた。☆ーミンは今も日本のトップアーティストであるし絶大な人気と影響力を誇るミュージシャンである。今もすごいけど、80年代のその頃もコンサートも大きな会場で実施されても本当にチケットが取れないんだよ。当時は往復ハガキ❗️でだったか、どこかの会場を期間を決めてチケット申し込み会場にして投票式でチケットを申し込み受付をしたとか。

それと当時もトップアイドルのM田S子のコンサートもやっていたね。そんな場で仕事をしていたのよ。考えてみればそんな場所で仕事をして、ちょっとでも当時人気のアーティストを身近に見られたなんて、20代前半の小娘は勘違いして有頂天になっちゃうよね。

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ちなみに、やはり当時からアマノジャクだった私は☆ーミンもM田S子も大嫌いで「こんなのどこが良いんだヨ?」と内心思っていた。今はでも………………やっぱり全然好きじゃないわ(笑)

有頂天になって仕事をしていたのもちょっとの間だけ。朝9時半から夜も9時まで。休みらしい休みは数えるくらいだし、日曜出勤しても代休なんてなかった。人気のアーティストのコンサートチケットの発売日はたいてい日曜日。そのチケットの売れ行きをチェックして報告したり通常は休みの日曜が休みじゃないのだよ。売れ行きが振るわなければ次の販売戦略を考えたり。私が考えるんじゃないけど。

そしてコンサートやライブの当日が来て、アーティストの出迎えやら宿泊の入り時間の確認やら当日移動もタクシーの確認やホテルスタッフとの打ち合わせとか。(他の社員の担当よ)私は当日券の販売や物販の一部を担当しただけ。女子社員で、それも下っ端だった私がやっていたことなんてたかが知れてる。男子社員は大変だったろう。私と同期で入社した彼は何年も前に東北支社の代表になってたみたいだ。

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音楽が大好きでコンサートにも多数行って、憧れだった音楽業界に就職もして。だけどその会社はとにかく忙しくて人間関係もストレス満載でやってられなかった。少人数の会社だったから、やり辛い相性の悪い人との関係でだいぶ悩んだ。多分相性の悪いその相手も、私みたいな社会性に欠けてる人間とはやりづらくてたまらなかっただろう。結局私はその会社は入社してから2年経たずに辞めることになった。

「もうこの会社ダメだ、キリのいい3月になったら辞めよう」と思っていたのが新年会の席で酔っ払った男子社員が悪ふざけをして、怒り心頭の私は「仕事辞めますっ💢」と宣言して送別会もなしでカットアウトでその会社を辞めた。辞める事を申し出た後は、同じ社内でも必要な連絡報告事項以外は他の社員とも上司とも全く口をきかず、目も合わせないで過ごした。辞められて心の底からせいせいした。「立つ鳥跡を濁さず」どころか、後ろ足でドロだか砂だか掛けまくって辞めた感じよ。でも今でも後悔は全くないわ。

その後は、気持ち的に疲れ果ててしまい一人暮らしの部屋でそのまま暮らしながら、軽い鬱状態で仕事もせずに1年程はプラプラ過ごした。

自由な社風だったし、色々面白いことも初めて経験した事も多かった。社員旅行でハワイにも行った。給料も悪くなかった。短期間だったけどバブルの頃を謳歌した、とも言えるかも知れない。

そうだ、その当時その会社では学生のアルバイトを多数使っていたんだよね。その時アルバイトに来ていた一人の男子学生さん、冗談ばかり言って面白い子でちょっと変わった苗字だったから今でも覚えているが、その子。震災で大きなダメージを食らった県内沿岸部のある場所に最近大きな商業施設を作って開業し、話題になっている建設会社の社長に収まってたみたいで。(建設会社の御曹司だってことは知ってた)びっくりポンだわぁ。

あ、当時いろんな日本を代表するアーティストの東北でのコンサートを仕切った中で、唯一好きだったアーティストは戸川純だったよ。


今でもこのアルバムは好きで、聞き直すと懐かしい気持ちになる。




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