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言葉に出して表現する、つたなくとも不十分な言葉でも言って相手に伝えてみることの大切さ

日本人はさ、「沈黙は金、雄弁は銀」なんてことわざがあるくらいで、ヘラヘラとしゃべることや自分の言いたいことを直ぐに口に出すことを戒めるような文化が根付いている。これはひと昔以上前の昭和な価値観だとは思うけど、現在ではそれでは自分が損をしたり割を食ったりって事が増えるんじゃないか、と思う。

ブログなどを読んでいて、「夫に不満があるけど(長年の習慣から?遠慮していて?)言えない。だからそのモヤモヤをブログに書いて吐き出す」みたいな人をよく見かける。読む方としてはそれは面白いの。あ〜あるよねそれ❗️と共感したりうなづいたり。

だけどそんなことを書いた文章を続けて見ていると、疑問が湧いてくる。それってその当事者に直接言うべきことなんじゃない?ブログで吐き出してスッキリするのも悪くないけれど、それで終わりにして良いわけ?ってみけ子は思っちゃう。

態度の悪い夫や家族。自分だけが我慢して頑張っている現状。別の方は、新しくパートに入った職場での人間関係に悩んでいる。自分のミスは誤魔化すくせに、新人で入った当人には大袈裟に騒ぎ立て、満足に教えもしない仕事を大量に押し付けてくる先輩パート。なんかおかしい。それってモヤモヤした気持ちをブログに書いて解消する問題な訳?

それはやはり、根本原因にアプローチして解決すべき問題なんじゃない?話のわからない家族や夫でも、根気よく現状を訴え改善策を探る。何度もそれを繰り返してどうやったら今より良くなるのか話し合う。解決策を見出す。職場のことならば同僚に話してみたり上司にも相談する。ダメならさらに上の人やパワハラとして公的機関に相談って手もある。

考えて色々模索してそれでも全く改善しない、全然良くなる気配さえない。もう自分も精魂尽き果てたって時は、その場を自分の強い意志で離れる。結局自分は今後どうしたいのか、どうなりたいのか。必死に考え、頼りになりそうな人がいるなら相談したり協力を要請したり。とにかく、現状を打破するための方策をできる限り講じるのだ。

言ったって変わらないから。全然聞く耳を持たないから。長年こうして来たけど結局同じだったから。そう思って諦めて良いのか?そうやってあきらめるのって、自分の人生をそこで投げ出すのと同然じゃないの?

人のことを言ってるけど、みけ子だって人に何か言うのは得意じゃない。気弱で反論しない(笑)みけ子の夫に物言いをする程度ならば、時々ガツンと言ってやるが誰にでもそうする訳ではない。あんまり頭の回転が速いタイプでもないんで、会話のキャッチボールで相手を納得させたり丸め込んだりなんて出来そうもない、と思うことが多いよ。

だけどさ、その不満をこれからもずっと我慢するの?何にも意見しないの?口で言うのが不得意ならば、自分の気持ちを丁寧に文章で綴って手紙にするのなんてどう?間に誰か他に人に入ってもらう事だって出来なくはない。やり方は一つじゃないし、考えたり誰かに相談して「この状況を変えるのだ。もっと良くするのだ。自分は今のままでは終わらない!」って気持ちを強く持って行動すれば、事態は絶対に好転すると思うのよ。

過去や他人は変えられないとは言われる。でももしダメでも、そうやってなんらかのアクションを起こした自分は、何もしないでブログや関係ない場所に書いたり愚痴ってストレス解消して吐き出してお終い、よりはよっぽどいい。行動した自分を誇りに思えるんじゃないかな?

簡単ではないと思うけど、トライしてみる価値は十分にある。



かぼちゃの形を模した、愛らしい東南アジアの民芸品。キャンディ入れにしたり玄関先に置いて鍵を入れたりも似合います。


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