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仙台に昔あった骨董屋さんの個性的な店主たち

今からもう30年近く前のまだ私たち家族に子供もいなかった頃。その頃は景気の良い時代で、街にも活気があり仙台でも骨董店が10軒ほど営業していたかと思う。

骨董なんてどうしても必要な品物ではない。でもいつの頃からか古い時代の骨董と呼ばれるモノに惹かれていて、休みの日には夫婦2人でよく骨董屋さんを訪ねて歩いた。良いなぁと思うものを見つけると、つい欲しくなって買ってしまう。時代を経た骨董のうつわに食事を盛り付けると、大した料理ではなくともご馳走に見える。その頃は経済観念が希薄で「良いものは長く使えるし」とか色々な理由をつけてうつわ類や時には家具なども購入した。「経済観念が希薄」なのは今もか(特にダンナ)(笑)

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骨董なんて、時にニセモノも混じっている騙し騙されの世界でもある。そんな骨董屋さんの店主も個性あふれる人たちが多かった。

既にお店は閉じているが、今でも思い出すお店「ギヤマン屋」(仮名)さんの主人は女性店主だった。2〜3坪程の狭い店内にぎっしりと骨董の品が並び、染付の伊万里を始めとするうつわ類は上品で質の高い品物が多かったように思う。在りし日の染色工芸家で人間国宝の芹沢銈介氏とも付き合いがあって、何度か品物を納めたこともあったと言う。値付けは比較的高めだったかなぁ。

しょっちゅうではなかったけど、そのギヤマン屋さんではいくつかの骨董のうつわや明治時代のランプなんかも買ったことがある。安くない値段だった。(今考えると本当に散財だったと思うわ)

そのギヤマン屋の女性店主は歳の頃50代後半〜60代くらいだったかと思う。白髪まじりの髪を目の上で切り揃えたおかっぱ頭で、低い声でゆっくり「いらっしゃいませ」と厳かな声音で客を迎える。お店に入った私たち客もその女主人に挨拶して、気になる品物があると手に取らせてもらったり、その品物の来歴を聞いたりした。

「この伊万里、染め付けの幔幕紋(まんまくもん)は現代の目で見てもモダンなデザインですしね、良いお品です。なかなか無いんです!」とその品物の特徴を語って聞かせてくれる。その話し方がゆっくりと重々しくその女主人の雰囲気にピッタリと合っていてとても特徴的だった。家に帰ってからも思わず真似したくなっちゃう口調だった。

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その重々しくしゃべる女主人の話し方を真似して話しているうちに、変な風に声真似がエスカレートしてしまった。「何だかギヤマン屋さんって、巫女さんっぽい」と何かが乗り移ったインチキ祈祷師よろしく、みけ子は骨董屋の女主人が巫女さんになり、お祓いをする様子を想像して真似て、思い切り悪ふざけしちゃった。

「エコエコアザラク 

 悪霊退散〜❗️ ええ〜いっ❗️」


2人で転げ回って大笑いしたよ。(何やってんだ〜😁)

そのギヤマン屋さん、90年代の始め頃だったかデヴィッドボウイの来仙公演があった時に、お店に彼が来たんだそうだ。通訳の人だったか誰かと一緒だったという事で、その時にお店に並べられていた雛人形に興味を惹かれたようだった、と女主人は話してくれた。(その品物を購入したのかどうか、などの詳しい話は忘れてしまった)

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そしてその頃によく見に行っていた骨董屋さんがもう1軒あった。「いなり堂」(仮名)という店だった。

そこはまだ整備されるずっと前の仙台駅の東口で、その頃は「駅裏」と呼ばれていた地域だ。戦前の古いしもた屋がまだ残っていて、その頃は駅に近いとは言え、夜になるとかなり暗かったと思う。その取り壊される寸前の傾いた小さなお店が「いなり堂」だった。

その「いなり堂」の主人、噂によると刀剣の目利きで刀剣の鑑定には定評のある人物だったらしい。だけど外見は何だかひどくみすぼらしくて(失礼)薄くなった頭にくたびれた背広でノーネクタイ、壊れたメガネをセロテープで直したものを掛けていて(❗️)。お店の中は資料の書籍類やうつわを包む包装用の古新聞などが雑然と置かれていた。とてもじゃないが名品が置かれている骨董屋さんになど見えない。ガラガラ開ける引き戸も泥棒が入る気になれば、簡単に破られそうな玄関だった。

その駅裏の傾いたしもた屋の骨董店で、半端ものの蕎麦猪口や傷物の染付の香炉などを時々買ったりした。

そんな「いなり堂」のお店に行くと自分達でも常連として扱ってくれて、お茶を出してくれることもあった。世間話的にご主人が語ったことによると、県南にある温泉地(みけ子の父方の出身地)で自分の実家はお土産物屋をやっているのだと言う。「お店の名前『いなりデパート』って言うんですよ。だからこのお店はいなり堂なの」。

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えっ❗️その温泉地のメインストリートには「いなりデパート」ってお店が確かにある。お土産物を扱っている今では流行らない商店だった。だけど店名は「デパート」なのよ。みけ子は子供の頃にそこの店に何度か見に行って、こけしか何かを買った覚えがある。店の正面には看板の巨大なお稲荷さんのキツネのお面が取り付けてあるのだ。

それを聞いた後のこと。その温泉地に日帰り温泉で立ち寄ったついでにその「いなりデパート」に買い物に寄ってみた。お稲荷さんのお面の看板は古びて塗装が剥げている。店内にお土産物も置いてはあったけれど、お店の半分以上は食料品になっていた。会計でレジに行くと、そこにはいなり堂の主人にそっくりのおじさんが居た。いなり堂の主人のお兄さんのようだった。


駅の東口のいなり堂は東口の再開発でお店の建物が取り壊されることになった。その後は無店舗で刀剣の売買などをやっていたらしいが、その後何年かたって主人は亡くなったと聞いた。

あの景気が良かった時代に、いくつかの店舗があった骨董店も仙台ではほとんど店仕舞いしてしまった。日常に使ううつわはもう買い足す必要がないくらい揃っている。傷ついたり割れたりを気にしつつ神経質に使うよりも、骨董と言っても珍品とかではない、よくある安物の伊万里などを日常使いにするのがいい。

仙台で現存している骨董店や古道具屋さん、もう時々冷やかし程度に覗いて見る程度だ。




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