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60代以降のオシャレは「そこそこ、まずまず」で良い(リライト版)

*昨年10月に書いた記事のリライト版です。

60過ぎなんだから、オシャレだってまずまずオシャレ、そこそこ見栄え程度で良いと最近自分は思う。

年相応を大きく外れると、見苦しい痛い人になる。極端な若作りはみっともないだけ。だけど貧乏くさく、草臥れた感じは絶対ダメ‼️

先日みけ子のファッションはこれだ。曇、最高気温24度予想。気温がだいたい同じくらいなので、今も同じコーディネイトでも大丈夫だろう。

ボトムは多分4年ぶりくらいで出して着た、フルレングスの化繊地のデニム。センタープレスでややキチンとした印象。それに白のTシャツ、イエローのカーディガン、パープルと黒の千鳥格子柄のスカーフ。組み合わせとしては悪くはないけど全体的にファッションとしては

全く面白味がない‼️


今の季節に合いそうな服を選んで組み合わせただけ、って感じ。一つ一つのアイテムはベーシックだ。唯一カーディガンの色はパッとしているが、別にそれだけ。これだって買ったのはもう5年以上前よ。靴が白のスタンスミスである所が、まぁなんとなくトレンド?(って程じゃないね)

さっき載せた写真は、カジュアルな普段着として選んでその日はそのまま掃除の仕事に入った。カーディガンとボトムを脱いで下は動き易く涼しい短パンに履き替え、エプロンして掃除の仕事だ。

別にこれから、恋愛市場に打って出る訳じゃない(笑)。ごく普通に周囲も自分もまずまずって思える程度のファッションで十分だ。

年齢を重ねると、自分の持っている服の全てを把握し、季節ごとのメンテナンスをし、タンスやクローゼットに納め管理する事がだんだん難しくなってくる。持ってる服を忘れちゃう。しまった場所もうろ覚え。洗濯やアイロン掛け、クリーニングに出したりがめんどくさい。その上体型が変わってサイズアウト、なんて問題外だわ。

少ないアイテムを効率よくコーディネートして、死蔵している服を無くす。少ない服をちゃんと活用して傷んで着られなくなるまで着る。それが自分がお金を出して買ったものに対する責任と言うものだ。

更に最近考えているのが「カジュアル」と「オフィスウェア」の境目を出来るだけ取り去ってしまう事。この区別が余計な服の所有につながると最近思い始めた。ここも心しないと。

だけど考えれば、靴だけ替えてこのままオフィスウェアにしたって良いのだ。(いや、靴だってそのままでもいいよ)自分からカジュアル寄りやオフィス向きとか区別するのは考えれば無駄なんだよね。

バッグだけ今年のものだけど、他は全て買ってから数年経っているもの。

出来るだけ両方に使える服のみを残す。これからはそういったフレキシブルな考えが必要なんじゃないかと思う。

60代のおしゃれが「そこそこ・まずまず」でいい、と思う根拠が実はもう一つある。60代という年齢になって、街を歩いていて振り返られるほどステキ💖では目立ちすぎるのだ。目立って羨望の眼差しで見られるのは嬉しいし良い刺激、という考え方もある。たまにはそんなのも悪くないとは思うんだよね。職業的に「常におしゃれでいる必要あり」の人もいるかとは思う。

だけど今の世の中、目立っていて余り良いことはない気がする。それは犯罪の凶悪化が世間を騒がせているから。お金を持っている高齢者は狙われる。特にお金を持っている訳でもないのに、やたらカッコよくて目立って犯罪者から目をつけられても困る。ちゃんと自衛できる人ならばいい。でもそうでないならばそこそこまずまずの普通で良いのだよ。

超絶カッコいい服なんか、流行遅れになるのも早いよ。ベーシックで長く着られる服を上手く活用しよう。汚れたら洗濯しクリーニングに出しての季節ごとの手入れをして、1枚の服を丁寧に着よう。それが自分がお金を出して買った服に対する愛情であるし、服を大切に長く着ることにつながる。

そして最近特に思うのは、服うんぬんよりは

姿勢を正してキビキビ動くこと


これが大事だってことだ。服を1枚余分に持つよりも、いつも動きに気を配ってダラダラ動くのを減らす。それだけで素敵とかおしゃれにもっと近づけるんじゃないかな?



↓これからの季節にぴったりな、爽やかなグリーンの吹きガラス。たっぷりした大きさでロックグラスにもビールにも♬





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