右と左が分からない/政治の話じゃないよ💦遺伝なのかね?
右と左。咄嗟に言われると「あれ?どっちだっけ?」って思う。子どもの頃からだ。「右折して下さい」とか「次の角を左に」とか言われると「右、箸を持つ方」「左、茶碗を持つ方」と頭の中で捉え直してから理解する。何だろうねぇ、こんな事パッと分かんなくてどうするよ?
この「左右が咄嗟に分からない」のはどうも脳のクセの様なのだ。まだ子どもが小学生の時、長女が同じような事を言っているのを聞いて「ありゃりゃ〜❗️」と思った事があるのだ。
もうかなり前の事だ。現在地に引越してくる前の住所にいた時。街中からちょっと離れている場所だったことと、荷物が多かったので子どもら2人とタクシーに乗った。天気が悪かったり、疲れていたりで自宅に帰る時にタクシーを利用する事は、その頃はよくあったと思う。
ある日私は小学3年位だった長女に「運転手さんに、自宅迄の道案内してみて」と言ってみた。疲れていて口をきくのも面倒だったからなんだけど、何事も経験だと思ってね。
何度も通っている道で、いつも車だと同じルートで帰宅するから、問題ないと思っていた。タイミングを測って「次は右です」とか「橋を渡って突き当たったら今度は左に」とかいつも私が言っていることと同じ事を言えば良いのだから。
ところが長女は、「橋を渡って突き当たったら『右に』」と間違った案内をしてしまった❗️えっ?違うよ逆だよ。いつも通っている道でしょ?慌てて私が、「ごめんなさい、左です」と言い直して事なきを得たが、ホントにアリャアリャ……だった💦
長女の頭の中では、右左が体感として理解出来ていないし、道案内もいつも聞いていても全く頭に入っていなかったらしい。
自分と同じで、困ったもんだと思ったが、それが脳の特性であり仕方がない事。じゃあどうすれば良いか?を考えて対処する以外ない。打てば響く、言えばパパッと理解出来る脳みそを持って産まれた人が本当に羨ましい。脳みその出来のお陰で余計な逡巡やら覚える手間がかかっちゃってる。面倒くさいよ〜。
それと似たような事で「細かい文字が沢山書いてある取り扱い説明書とかは、どこをどう見て理解するのか、とても混乱する。分からないのでやりたくない」ということも実はある。
こんな頭脳を持って生まれてしまい、いくら勉強しても努力しても理解不能な事はムリで、ムリな事はどう足掻いたって出来ないと体験から力説するよ。どなただったか有名な学者さんが「結局は頭の良い悪いはほとんどが遺伝的なものだ」と発言している(か、何かに書いていた)のを耳にしたことがある。衝撃的だったと同時に「あ〜、やっぱりそうだよね〜(笑)」と思ったよ。
勉強したり、少しでも理解しようとする努力が無駄だ、という訳じゃない。だけど人の身体能力には当然限界があり、同じように頭脳にも限界があるってことだ。いくら噛み砕いて説明されても、自分には相対性理論をちゃんと人に説明出来るくらいに理解しろ、って言われても無理じゃないかと思っている。いくら練習や訓練に励んでも、時速160kで投球するのが一般人には無理なのと同様だよ。
人の能力には当然限界がある。出来ない言い訳をする訳じゃないけど、無理なことはムリなのだ。努力が無駄だとは言わない。多少はそれでもマシにはなるだろうけど、みんな同じように出来るのが当たり前、ではないと思うよ。
つまりは現在出来ることから、どのように工夫をして取り組むか、なんだろうね。
↓オブジェとして飾っても面白くサマになる、白磁のおろし金。昭和初期のお品物です。
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