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東北には昔、「お好み焼き」なんてなかった❗️

昨日の夕ご飯は、お好み焼きを作りました。買い物に行かなかったのであるものだけで出来るオカズってことで。

今はここ仙台でもごく普通にお好み焼きは、家庭で食べられています。キャベツや小麦粉、卵などがあれば作れる、手抜き主婦にうれしい経済的な料理として。

みけ子が育ったあたりの昭和40年代頃、仙台には「お好み焼き」と言う名前の食べ物はなかったです。これに似た食べ物は「どんどん焼き」と言う料理はありました。どんどん焼きはみけ子の家では当時、家庭料理として時々食卓に登っていましたね。

どんどん焼きには、キャベツは入っていませんでした。入っていた野菜は長ネギです。桜エビ程度はネギの他に入っていたかな?水で溶いた小麦粉に小口切りにした長ネギを入れて焼き、ソースをかけて食べていた記憶はあります。

この辺りで言われる「どんどん焼き」が全国では「お好み焼き」と呼ばれる食べ物でその中にはキャベツが入る……と知ったのは高校生の時だったかしら??小麦粉を水で溶いて作っていたどんどん焼きは、キャベツの入ったお好み焼きにいつの間にか変化していました。

もう昔の事なので記憶は曖昧ですが、ネギがたっぷり入ったシンプルな粉物「どんどん焼き」がお好み焼きと完全に入れ替わってしまったのはみけ子が専門学校に通っていた、20歳前後だった気がします。

昨日はソースではなく、あっさりポン酢でいただきました。

キャベツの歯触りと卵も入って、ソースやマヨネーズを付けて食べる、ボリュームのある「お好み焼き」。シンプルな、薄く焼かれたどんどん焼きしか知らなかったみけ子には十分にご馳走でしたよ。


昭和後期にはTVなどのメディアの発達のおかげで、一部地方でしか食べられていなかった食材や料理も全国的に広がって行ったのではないかな?みけ子がゴーヤを初めて食べたのは平成になってからのことだったと記憶します。

物流が発達し整備されて、これまで食べられていなかった食べ物が食卓に上るようになる。これはとても幸せなことです。

だけど昔から食べられ、栽培されていた食物などその地方独特の食文化は、まさに人それぞれの生きていた証でもあります。子供の頃に良く食卓に登っていた、季節食や食材など。

ズボラで料理嫌いなみけ子ですが、自分が食べたいのもありますし出来るだけ「めんどくさい」と作ることを止めるのではなく、回数は少なくとも時間をかけてちゃんと作ることを心がけたい。そんなことを思いました。(案外マジメなまとめです、😁)




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