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もう50年近く会っていない従兄弟のヤスアキ君のこと

みけ子に同い年の従兄弟がいる。ヤスアキ君(仮名)だ。同い年だからもう白髪頭のアラカンのジジイ(笑)になっているはずだ。←人のこと言えるか?

母みけの妹の子どもで、千葉県に生まれた。みけ子はずっと東北在住だが、ヤスアキ君は首都圏で生まれ育っただけあり、学習塾や習字、ソロバンなどの習い事もやっている賢い子だった。昭和40年代頃に小学生だったヤスアキ君と一緒に撮った写真がある。その頃の子どもの標準的なお出かけスタイルである、半ズボンに白タイツをはいている。さらにジャケットに蝶ネクタイまでしていたから、ただのおでかけファッションではなく、何かのお祝い事の時の写真だったかも知れない。

そのヤスアキ君、受験勉強の成果を実らせ見事に国立大学に入学した。時は1980年代。イケイケの時代だったし、十分に大学生活を謳歌したと思う。その後に無事に大学を卒業し、さて就職という時になった。

なんと、そのヤスアキ君は就職活動を一切せず、企業に就職する事もしなかった。卒業後はアルバイト生活に入ったらしかった。当時言われ出した「フリーター生活」だ。

首都圏の国立大に、浪人もせずに入学できる秀才だったはずだ。なんでまた、卒業後にフリーター生活?

この後の話は、又聞きなので本当のところは分からないのだが。こう言う事だったらしい。

ヤスアキ君が専攻したのは、社会学か経済学方面だった。そこの大学で学んだ時の教授が「反資本主義」の考えを持った人だった。若くて感性が豊かな時期、資本主義経済とその社会に批判的な考えを持った教授に薫陶を受け、ヤスアキ君はすっかりそれに感化されてしまった。

庶民を搾取し、働かせる大企業。そんな組織の歯車の一つとなるのが、心底イヤだったのだろう。確かにその頃は景気も良い時代だったから、アルバイトで凌いで、ある程度働いたら旅行に行ったりする生活も十分に成り立った。別に大企業等の会社組織に所属しないでも、十分に生きていけた。

しかし若いころはそんな生活も良いが、中高年になった時はどうする?いくら資本主義経済に否定的であったって、働いて稼いで必要な品物を消費しては誰にだって必要な行為だ。それを全部拒否してこの現代社会で生きられようはずもない。その後の細かい事は聞いていなかったが、みけ子も30代後半になった頃、そのヤスアキ君のその後の話が伝わって来た。

なんでも、フィリピンから日本に出稼ぎに来ていた女性と恋仲になり、すでに子どもが2人いて彼女は日本とフィリピンを往復する生活なのだという。フィリピーナの彼女との子どもは、現在フィリピン在住で祖父母にあたる人と暮らしているらしい。彼女と子供たちの生活費はヤスアキ君がまかなっていた。

母みけからその話を聞いた時は、ちょっとばかり驚いた。だけどヤスアキ君ももう40歳に手が届く年齢だ。パートナーと家族になり一家を構えて生きて行くのにも、十分な年齢と社会経験を持っている。大学生の時に多大な影響を受けた「反資本主義思想」だけど、現実問題として毎日働いて稼ぎ、家族を持って平和に生きて行くことは、どこかで社会と折り合いをつけなければならない。奥さんと2人の子どもは、ヤスアキ君の代え難い家族として守り、育んで行かなければならない唯一無二の存在だ。

その後のヤスアキ君が、どこかの会社に就職したのかどんな仕事をしていたのかは全く知らない。ただその後にヤスアキ君とカタカナで書かれた奥さんの名前が入った記念の品が届いていたから、無事に一家を構えて子供たちも呼び寄せ、落ち着いた生活を営んでいるのだろう。

世の中にあまたある思想的信条も、結局は人を幸せにする考え方や行動でなければ、そんなものは存在する意味などない(とみけ子は思っている)。若い将来のある人たちの教育に携わる立場の人は、その辺りをしっかり自覚してもらわないとなぁ、とか思った次第だった。

60代のヤスアキ君とその奥さんや子どもは、元気で暮らしているのだろうか?古い写真を見つけて、そんな事が気になったみけ子である。




↓韓国・李朝時代の貴重な木工家具。銭函と呼ばれる形の無垢の李朝箪笥です。


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