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人はいつまで経っても未完だ/坂本龍一氏が亡くなった(T . T)

表題写真は坂本氏のソロアルバムの「B2 unit」からお借りしました。

坂本龍一氏がお亡くなりになった( ;  ; )説明するまでもない、世界的な音楽家である。みけ子の世代の人には「YMOの教授」でお馴染みの方だ。YMOは世界の音楽の流れを劇的に変えた音楽グループである。

みけ子は中学生の頃に洋楽ロックにハマり、ロックと言うまだ若い新ジャンルの音楽に頭と耳を完全にヤラれた気分だった。

その中でも革命的に新しいテクノポップの旗手であったYMO。デビュー当時から日本発で世界を目指した音楽だった。

リーダーは細野さんだったが、東京芸大で音楽を学んでいた、坂本龍一氏の個性は3人の中でもことさら光っていたと思う。

余談だが、先般亡くなられた高橋ユキヒロさんは「YMOの細めの大黒柱」と言われていたね。

YMOの音楽に夢中になり、まさに頭の中をジャックされた感じの若い頃のみけ子。メンバーの中でも特に坂本龍一氏の大大大ファンだった。

「東北ユースオーケストラ」演奏会後に取材に応じる坂本龍一さん(2019年3月撮影)日刊ゲンダイ記事写真より

頭いい、天才的な音楽の才能、さらに美男子であった。音楽家デビューをする前はウザいロン毛でダサかったらしい。確かソロデビューアルバムの中にロン毛の写真があったんではなかったかな。ファッションデザイナーでもあったユキヒロさんのアドバイスも受けて最新流行のファッションを身に付けるようになっていた頃は、本当にまばゆいようなカッコ良さだった。その当時の日本の音楽的リーダーであり現代を代表する知性で、ファッションリーダーでもあった。ファッション誌「流行通信」でも彼をモデルにして特集ページが組まれていた覚えがある。

出版界では新潮社が「新潮文庫の100冊」のキャンペーンに坂本氏を起用した事もある。あの横長のポスター、みけ子はどこからか手に入れて長いこと部屋に飾っていたよ。

これはポスターではなく、冊子ですが。

YMOが特に売れていた、自分が専門学校生だった頃。どうしてもど〜しても、YMOの仙台でのコンサートで良い席を取りたくて、チケット発売日の早朝(前夜から?)発売場所に並んだ。のぞみ通り最前列をゲットして同じ学校の友人たちと最前列で温泉マークをアレンジしたような小さな旗を作った。(当時、YMOが腕章にも使っていたマークです)何人かで揃えてコンサート会場の最前列に陣取って振った(笑)

コンサート終了後「絶対来るよね?!」と仙台で当時最先端のディスコに入店してYMOのメンバーが来るのを待ったが、中々来ない。諦めて外に出たがその帰り道、YMOのメンバーに遭遇したのだよ‼️坂本氏を呼び止めてサインをもらい、ちょっとだけ話をした。「最前列で旗振ってたの見えましたか?」って聞いたと思う。「あ、見えたよ。目立ってたし」と言ってもらえて嬉しかった。その時もらったサインは大事にしていたのに、いつの間にか行方不明になってしまったな。


映画音楽の分野でも目覚ましい実績を残している。戦場のメリークリスマスはもちろん、アカデミー賞を受賞したラストエンペラーも聴いていて息が詰まるような素晴らしく濃密な表現だ。自分としては映画「嵐が丘」の曲が心に沁みる。映画もまた深く印象に残る作品だ。


長年創作活動を続けていた人だし、唯一無二の作品を多数生み出している。今年の1月にも新しいアルバムをリリースしていたと言うから、本当はもっと生きたかったと思う。これからも創作活動を続けたかったし、もっと沢山表現したかっただろう。これだけの人でも「自分はまだ未完だ。これからももっと出来る事がある。発言すべき事もある」と考えていたのではないだろうか。

現代においては71歳での没はまだ早い。以前からガン闘病中である事は公表していたし、人は永遠に生きられる訳もない。いつか訃報が届くのは仕方がない事なのだが……。

心臓の鼓動が止まり、肉体が死を迎え身体が朽ち、魂もこの世から消えてしまったとしても、彼が作った曲や業績が消える事はない。正に「芸術は長く、人生は短し」だ。

一つの時代が終わりを告げたような、大きな喪失感でぽっかりと心に大きな穴が空いてしまったような感覚を抱えて、どうしていいか分からない気分を持て余している。
(T . T)




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