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アジェのパリ#01/清貧の芸術家

市井の演劇人だったヴァランティーヌ・ドラフィスが亡くなったのは1926年6月20日。享年は79才。支えたのは伴侶/写真家ウィジェーヌ・アジェJean-Eugene Atgetだった。 彼はそのとき69才。まさに老々介護である。

二人のアパートはパリ/モンパルナス・カンパーニュ=プルミェール街17番地にあった。その辺りは貧しい人が肩寄せ合って生きる界隈だ。二人の部屋は老朽化したアパートの急な階段を昇った上の階にあった。

ヴァランティーヌが病床に付き始めたのは凡そ10年ほど前。長い闘病生活だった。辛かったかもしれない。しかし決して不幸な生活ではなかった。生来明るく華やかだったヴァランティーヌが、病の床でも明るさを失わなかったからだ。周囲には偏屈な頑固者ウィジェーヌも、彼女には終始優しく気配りをする男だった。仲の良い鴛夫婦だったのだ。二人は、倹しいが心満ち足りた生活を送っていた。

二人が出会ったのは40年ほど前、アジェが演劇人として旅廻りをしていた頃だった。
端役にしか就けないアジェに対して、10才年上だったヴァランティーヌは、既にひとかどの女優だった。早々に役者を諦めて写真技師としての世界へ入ったアジェと地方周りが多かったヴァランティーヌの間に破局が無かったのは、偏にアジェが彼女を熱愛していたからに違いない。二人がパリ/モンパルナス・カンパーニュ=プルミェール街17番地に暮らすようになったのは1899年10月、その後ただ一度も転居することなく二人はその街に生きた。そして沢山の喜び/沢山の悲しみ、苦労/喧嘩/愛を紡いだ。 ・・その紡いだ契りが切れた時、ウィジェーヌ・アジェは意気消沈した。

彼が亡くなったのは翌年8月4日である。誰に看取られるわけでもなく、ヴァランティーヌの亡くなったベッドの上で・・彼は独りで逝った。寂しかったろう。しかし不幸ではなかったはずだ。彼の周りには40年の二人の思い出が褄っていたからだ。
何回かあった名声を得る機会を振ってまで守った生活である。
アジェには、まったく何の後悔も無かったにちがいない。
すべき仕事を為したものが得る大往生だったと僕は思う。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました