悠久のローヌ河を見つめて01/国境の街ジュネーブ
国境の街ジュネーブは前職の時、定期的に訪れる街だった。いつも重苦しいMTGと決断をするために出かける、ちっとも楽しくない街。とくに冬は街も心も凍りつく街、それが僕のジュネーブだった。
そのジュネーブに寄り添うように、世界一美しい湖レマンがある。
ローヌ川のことを話そうと思うと、僕はあの静かに美しい、膨大な氷河の雪解け水を湛えた湖の事を思い出してしまう。
ローヌ氷河が解けた鋭利なナイフのような冷たい水流が、スイス/ゴムス平地からサンゴダール山塊の間/ローヌ渓谷を縫うように奔り、小さな町マルティニで右へ曲がり、小休止するために辿りつく所。それがレマン湖だ。
その川筋は決して太くない。しかし足は疾い。そして氷河の気品を備えた冷たいままの水流だ。
「あの冷たい川は、レマン湖の底へ流れ込むんだ。そして10年以上は湖底に眠る。古代の揺り籠の中で、ゆっくりと柔らかに穏やかになるんだ。判るかい、この意味は」
ある時MTGの席で、リヨンから来ているインディペンデント系のファウンダーがそう言った。重苦しい利害をぶつけ合う席でのことだ。
「ジュネーブは穏やかになるために用意された揺り籠さ」
重い言葉だった。
僕はレマン湖を幻視したような気がした。
その出張の時、僕は岩波文庫版の「ローザ・ルクセンブルグの手紙」を携えていた。ドイツ共産党の創始者である革命家ローザの手紙集だ。その中に彼女がレマン湖を旅した時を描いた一文がある。くらくらするほど美しい言葉の群れだ。引用しよう。
「あの夢のように美しい青いジュネーブ湖(レマン湖)。あなたはまだおぼえていらっしゃるでしょ うか?荒涼としたベルン-ロザンヌ間を過ぎ、最後のおそろしく長いトンネルを通り抜けて、突然、眼下に大きな青い湖が現われると、どんなにびっくりすることでしょう! あそこを通る度毎に、私の心はまるで蝶々のように舞い上ります。
それから今度はロザンヌからクラランへ至るあのすばらしい区間: 20分毎に小さな駅があり、はるか下方の湖畔には、白亜の小さな教会をかこんで小さな家々が群がっています。もの静かに詠うような車掌の呼び声、それから駅の鐘が鳴りはじめます!三回ずつ続けて鳴り、それからまた三回、そしてまた汽車がゆっくりと動き出しますが、鐘は相変らず明るく晴々と鳴り響いています。
青い水鏡は汽車が進むにつれて、たえず、あがったりさがったりし、その上を小さな蒸気船が、まるで水に落ちたコガネ虫のように、長い白い航跡を引いて匍ってゆきます。そして対岸は・・白い険しい山壁は、下の方が大抵青い霞で覆われているので、上方の雪を頂いた部分だけが天空に浮かんでいて、この世のものとは思われない感じです。」
全ての打ち合わせが終了した後、会食の席で、前述のリヨンのファウンダーから「リヨンで別件の話がしたい」と申しこまれたとき、僕はホテルの枕元に置いたままになっている「ローザの手紙」のこの下りを連想した。だから快諾した。そしてすぐさま「リヨンまでは列車で行くよ」と言うと、彼が笑って言った。
「ローヌ川と一緒に、ジュネーブからリヨンまで流れておいで。きっと心も身体も優しくなる。」
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました