東京ことば散歩1-2/民主的な首都圏語?#02
ただ言語的には・・我々の使っているアルタイ語系言語は、口語文語いずれも貴賎・主従・尊蔑をきちんと分ける言葉であるということ。これははっきりと理解しておくべきだ。朝鮮語もその傾向がある。儒教云々以前の問題で、言語的に貴賎・主従・尊蔑がある。南島語族であるジャワ語も、はっきりとこれを使い分ける。実はこのアルタイ語族/南島語族の比較は極めて面白いのだが・・ここではしない。
比して漢語は、書かれたものは"身分立ち位置の上下"を明快にするが、口語の場合は曖昧である。もちろん貴賎による用語の違いはある。しかし貴賎・主従間での会話/指示の中に際立った「それ専用の」言葉使いは少ない。英語の場合、身分の上下/年齢の老若を、格式ばった言い回し乃至Mr.やSir.を使って表すことが有るが、明確に・丁寧語と呼ぶべきものは少量である。これは中国語においても同様で、印欧語である西ヨーロッパ諸語やセム諸語も同じ傾向にある。
言語学者であるチャールズ・N・リーCharles N. Liとサンドラ・トンプソン/Sandra Thompsonは、日本語のような言語体系を「主題優勢言語topic-prominent language」とし、そして印欧語漢語などは「主語優勢言語subject-prominent language」であると二大分類しているが、この括りで云うと「主語が優勢な言語」には、丁寧語はあるが尊敬語・謙譲語は希薄だとみていいだろう。比して「主題が優勢な言語」は貴賎・主従・尊蔑を明確に使い分ける傾向にある
・・そんな印象を感じてしまう。これは僕の私見だが・・
ではでは、その「主語」とは何かというと、戦前の橋本進吉のような言語学者らは「は、が、という助詞の前に付く言葉が主語」と定義している。おいおい西田幾多郎を無視するのかよというような定義だが・・これが現在の、日本語の教科書的な定義になっている。
ところが戦後、三上章のような明晰な頭脳が現れて「日本語にはそもそも主語なるものは存在しない」という主張を始めた。そのため、いまのところ事態は混沌としている。しかし「主題優勢言語topic-prominent language」としての日本語を見つめると・・たしかに"主語"というアリストテレス的な世界観は我々には必要ないのではないか・・そんな気もしてしまう。僕自身は三上章説に傾倒するな。
そろそろですね、アリストテレス/プラトンそして神経症的なカントから身を逸らしたほうが・・僕らはもっと自由になるのではないか・・そう思ってしまうのだ。これは余談。
ちなみに・・もひとつ余談だが、同じく言語学者であるジョゼフ・グリーンバーグJoseph Harold Greenbergは、主語(Subject)目的語(Object)述語(Verb)の語順に注目し、日本語のようなSOV型の言語は世界の言語のほぼ50%を占めており、英語などSVO型は40%、アラビア語などVSO型は10%を占めていると云っている。たしかに印欧語漢語などSVO型が、世界で使用されている言語の中枢でないことはアタマの片隅に置いておくべきだと僕は思う。