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本所話欄外書き散らし/ゆうだちや たをみめぐりの かみならば

先日の三輪鳥居からの連想で三囲神社を思い出した。それでゴソゴソと未明に起き出して書棚をかき回した。
「三囲の石碑」である。矢羽勝幸氏の佳作だ。三囲神社は、東京都墨田区向島にある。歌碑が幾つもある。
ちなみに三越の屋上にある(あった・・になるのかな?)神社も三囲神社。
向島の三囲神社は其角惜春が雨ごいで(半ば冗談で)詠んだ歌。ゆうだちや たをみめぐりの かみならばで、翌日大雨が降ったというンで有名になった神社だ。
「ゆ・た・か」の3字をアタマにのせてるのがいかにも其角らしい。江戸っ子は其角が好きだからねぇ。

「江戸名所図会」の中、三囲稲荷社の項には
小梅村田の中にあり。故に田中稲荷とも云ふ。別当は天台宗延命寺と号す。神像は弘法大師の作にして、同じ大師の勧請なりといへり。文和年間三井寺の源慶僧都再興す。慶長の頃迄は今の地より南の方にありしを、後この地に移せり。当社の内陣に英一蝶の描ける、牛若丸と弁慶が半身の図を掲けたり。
牛島みめぐりの神前にて、雨乞するものにかはりて、
夕立や田をみめぐりの神ならば
宝晋齋其角
あくる日雨ふる。
社僧云く、元禄六年の夏大いに干魃す。しかるに同じ六月の廿八日、村人あつまりて神前に請雨の祈願す。その日其角も当社に参詣せしに、伴ひし人の中に白雲といへるありて、其角に請雨の発句すべきよしすゝめければ、農民にかはりて一句を連ねて、当社の神前にたてまつりしに、感応やありけん。その日膏雨たちまちに注ぎけるとなり。その草は今も当社に伝へてあり。」
とあります。
はは♪珍しい三囲鳥居があることで有名になったわけじゃない・・とこがミソかな。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました