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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩3-4/バスを使ってコルトン歩き#02

食事のあと、ホテルへ戻った。チェックインは15:00だが、部屋には入れた。一階の奥まった部屋でテラスが付いていた。出てみると目の前に葡萄畑が大きく広がってみえた。向こうにコルトンの丘がある。

「見てごらん。あれがコルトンの丘だ」僕が言うと、荷物をおいた嫁さんもテラスへ出てきた。
「すごいわねぇ、ボーヌの村の中には絶対にない景色ねぇ。全部葡萄の畑でしょ。きっと夜は真っ暗ね」
コルトンの丘は、ゆっくりと登っていく畑の向こうに黒い旧神が蹲るように在った。
「森の丘なの?丘には畑はないの?」
「ん。古代の景色がそのまま在る。すごいね、過去一度も造成されないまま、ガリアの時代が残されているんだ。
標高は400mくらいだそうだ。コート・ドールはずっと石灰質の断崖が続いているんだが、コルトンの丘はその一番南側で、コート・ド・ボーヌの畑は、あの西南から始まってる」
「ふうん。コート・ド・ボーヌの畑の北限なのね」
「うん、此処からはコート・ド・ニュイだ。丘をラドワ・セリニー村とペルナン・ヴェルジュレス村が囲んでいる」
「唐突にあの丘だけが森に埋もれているのね。まるで巨人が頭を抱えて蹲ってるみたい」
「そうだな。僕にもそう見える。典型的なコート・ドールの土地だ。泥灰土と混じったオーライト石灰岩で、それを粘土質の表土が覆った地帯だ。
高い空を飛んでいる鳥の目で見ると、コート・ドールはソーヌ川の西側に、こうした石灰岩の断崖が続いているんだよ。この辺りは、あの黒いコルトンの丘を頂上にして南東へ、ソーヌ川に向かって徐々に下向きに傾斜しているんだ」
「だからバスを降りてずっと登り道だったのね」
「ん・・その崩れた崖が作り上げた崩れた斜面に、人々は畑を耕して1万年も生きてきた。でも、崩れた土地の殆どが石灰質だからね。痩せた土地だ。ローマ人たちが葡萄を持ち込むまでは牧畜が生活の中心だったろうな」
「そこへワイン畑を作ったのね」
「ん。ローマ人がね。ガリアとの交易のためにね。葡萄はあらゆる農作物の中で最も利益構造がいい。ワインに加工されていれば商品寿命も生野菜生果物より遥かに長い。交易品として使える」
「ああ~そうね。たしかにそうね。葡萄をワインにすれば、作ったものを何か月もかけて他に運べるわね」
「この地にはソーヌ川が東に有って、西にはアグリッパ街道が有った。ボーヌと同じく交易のハブとしてローマ人は此処を Aulociacumと呼んで利用していたんだ。それがAlossia、Alussa、Alouxと変化し、17世紀のころには Aloxeと呼ばれるようになった」
「コルトンじゃないの?」
「コルトンというのは、当時此処にル・コルトンとよばれてた有名な畑が有ってね、この地の代名詞になっていたから、その名前を取り込んだんだよ。ル・コルトンは濃厚な高品質のワインで、ロマネコンティやモンラッシュ並みにパリの貴族たちに知られていたワインだったそうだ。ル・コルトンという名前は『皇帝オトの畑/カーティス・ドルソンが転化したもの』だという。皇帝オトは紀元一世紀あたりのローマの皇帝だ。その畑の名前を取り込んで1862年からAloxe・Cortonになったという」
「どちらにしてもローマなのね」
「ん。ローマだ。欧州を席巻したローマ教会は、ローマの文化も宗教も、そしてガリアの文化も宗教も、徹底的に殲滅したけれどな・・みてごらん。ほら」
僕はコルトンの丘を指差した。二人で畑の向こう、コルトンの丘を見つめた。
「旧神は蹲り、ああやって身体を丸めて微睡んでいるんだよ。神殺しは成功していない。文化も歴史も必ず積層する。ごっそりと根こそぎ消し去ることはできないんだ。」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました