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蒋経国という生き方#08/表裏合わせた台湾制圧

「闇の顔を一手に受けた蒋経国に対して、表の顔は陳誠だった。」
「陳誠って、蒋介石に台湾省主席を任された人ね。」
「そうだ。彼は温厚で知的な男だった。 彼は、前に話した三七五減租が大きな成果を出したと見るや翌年1951年6月には、日本人所有の土地を農民に売却するなどして、自作農家を増やした。同時に大地主からは農地を買い上げ、その資金を許に農業以外の事業へ誘導したんだ。これが今日の台湾の姿を決定付けた。陳誠は凄い男だったんだ。」
「でも恐怖政治だったことには変わりないんでしょ?」
「ん。しかし朝鮮戦争が始まったことで、アメリカから大量の援助が再開すると、それもママならなくなった。アメリカが許さなかったんだ。」
「そりゃそうよね。そんな非道なことが許されるはずないわ。」
「粛清というのは、止め処もなく続く無間地獄のようなものだ。ウロボロスの蛇だ。アメリカ側が示した嫌悪の姿勢は、むしろ蒋介石/蒋経国にとって渡りに船だったかもしれない。
1954年、蒋介石/蒋経国はアメリカ側の意思を反映させて、密告された者の財産を密告したものに分与するという規定を廃止した。マッカーサーが更迭されて替わりに総司令官になったリッジウェイは公平無私の人だったんでね。そのことも大きく蒋介石/蒋経国は救われたんだと思う。50年代後半になってからは弾劾裁判もね、秘密裁判だったものから被疑者に一応弁護士が付き、起訴状、判決書が交付されるようになって、そして上訴も認められるようになった。
朝鮮戦争からのおこぼれが台湾の経済を支えたし、陳誠の経済政策/農地政策は一応の成功を収めていたから、少なくとも台湾というサイズの中では、蒋介石国民政府は安定の方向へ向かったんだ。」
「でも・・たくさんの人が死んだんでしょ?」
「ん。無為にそして咎なく死んだ。」
「それって・・どうなの?」
「それを批判するのは難しい。肯定するのも難しい。でもそれが事実だ。歴史として折り曲げず正しく理解する姿勢が僕らには必要なんだと思う。
春秋左氏伝にこんな件がある。
太史書曰 崔杼弑其君 崔子殺之 其弟嗣書 而死者二人 其弟又書 乃舎之 南史氏聞太史盡死 執簡以往 聞既書矣 乃還
中国春秋時代、斉の国で専権を握っていた男がいた。崔杼という。彼は傀儡だった王・荘公を私恨で殺した。その事実を斉に仕える太史(歴史家)が『崔杼、其の君を弑す』と史書に書いたので、崔杼は怒りその太史を殺した。しかし後を継いだ太史の弟も同じことを書いた。なのでその弟も殺した。ところがその後を継いだ者もまた同じように書いた。崔杼はとうとうこれを舎した・・という故事だ。最後に、太史兄弟が殺されたことを聞いた別の史官は『崔杼其の君を弑す』と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰った・・とある。」
「それも凄い話ね。」
「歴史はまず事実があるべきだ。解釈はそれに次ぐものでいい。解釈なしで歴史は正しく見えてこないが、その前にまず事実でなくてはならない。
自国の歴史をテレビドラマなんだからといって、勝手に捏造しちゃいかんのだよ。」
「それって韓国ドラマのこと、言ってるの?NHKのこと言ってるの?」
「ふん!」 

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました