見出し画像

堀留日本橋まぼろし散歩#07/夢二夢散歩#01

夢二の港屋は間口2間ほどの小さな店だった。「港屋絵草紙店」という暖簾は夢二の直筆だった。軒下にブル下がる提灯にも「港屋絵草紙店」と書かれている。間口両方にショーウィンドがあり、夢二の描いた木版画/彼の書籍/夢二がデザインした和装のため小物/便箋なと紙ものが陳列してあった。いずれも手作りで大量生産されたものではなかった。作風はアールヌーボーを思わせるものだが、全体には琳派の影響を思わせるものだった。しかし作品は和洋が織り交ざった特異な世界だった。彼自身も開店時の引き札に「不思議なもの」と書いており、こうした和洋混然とした世界を意識的に選んでいたことが判る
開店の時、こんな案内状を出している。

「下街の歩道にも秋がまいりました。
港屋は、いきな木版絵や、かあいい
石版画や、 カードや、 絵本や、 詩集や、
その他、日本の娘さんたちに向きそうな
絵日傘や、 人形や、 千代紙や、 半襟
なぞを商う店でございます。
女の手ひとつでする仕事ゆえ不行
届がちながら、 街が片影になりましたら
お散歩かたがたお遊びにいらして
下さいまし。
吉日
外濠線呉服橋詰
港屋事
岸たまき」



名前は岸たまきになっているが、字も内容も夢二のものだ。港屋は若い女性たちが自分の小遣いで買えるものだけを鬻ぐ店だった。当時すでに絵草紙店という言葉を使う文具小間物店はほとんどなくなっていた。もっとハイカラな絵葉書店と訛る店ばかりになっていた。夢二は敢えて「絵草紙店」と名付け、懐古調を全面に出した。
「夢二が店の名前に絵草紙を入れたのは彼の素晴らしい時代を読む感性だと思うな」
片影になるころの日本橋交差点。ゴディバカフェの外に並ぶテーブルでコーヒーを飲みながらそんな話をした。
「それにしても・・さむくない?」と嫁さん。
「ん。さむい」
「中に入りましょうよ。中のテーブル開いてるし」
「やだ。オープンカフェになってれば、オープンカフェに座る。ParisでもNYCでもそうしてる」
「ただの意地っ張りね」
「そう・・生き方はおいそれと替えない」僕が言うと嫁さんが呆れ返ったという顔をした。
「変えない生き方が・・時代に意図せず副ったんだろうな・・夢二の場合。夢二も不器用な人だからな。絵も言ってみればヘタウマで画力は大してない。デッサン力も稚拙だ。だけど彼の"和洋折衷の紡ぎ方"が、とても時代にマッチしたんだと思う。c;それで・・和洋折衷だからこそ懐古な絵草紙店という名前が猛烈な訴求力を持ったんだと思うよ」
「すごい流行ったの?」
「ん。大ブームを若い女性の間に起こした。夢二は彼に心酔する女性たちのために、様々な意匠を生み出し、コツコツと作品を積み上げたんだ。すべて手作りだ。大量生産は出来ない。しかし買えないほど高価なものではない。そのことが夢二の作品のファンを育んだと思う。
港屋そのものは、岸たまきとは2年ほどで破局してしまったので短命だったが、彼がこの店のために残した作品はまさに夢二の真骨頂ともいえるものばかりだよ・・僕はそう思ってしまう」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました