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ナダールと19世紀パリ#15/エルネスティン・コンスタンス・ルフェーヴル

ナダールにとって1850年代(30代)は、写真術に魅せられ奔走し、悪弟の背信に翻弄された時代だった。それはパリがルイ・ナポレオンによって激変へ引き摺りこまれていった時代でもあった。1853年、クーデターによって第二帝政が確立すると、ルイ・ナポレオンはナポレオン三世を自称し、強権発動するとフランスを新しい時代に向けて揺さぶった。人々は熱狂し、新しい時代の到来を夢見て浮かれた。
イギリスから始まった産業革命という生産技術の革新が、フランス経済の構造を根元から変えようとしていた。貴族/僧侶/農夫(商人)という、三構造から離脱した"労働者"という新しい階級が猛烈な勢いで増えたのである。当然社会構造は強く蠕動した。その過程の中で、貧富の差は広がり、挫折と希望と不満と驕傲が世間を席巻した。

そんな時代だと云うのに、あれほどナポレオンを毛嫌いし、時代に「もの言う漢(おとこ)」だったナダールは、政治的活動/発言を表立って全くしていない。これは寧ろ却って驚くべきことだ。
当時のナダールは写真術の中に「芸術Art」の可能性を見出したことで、写真だけに没頭していたのである。自分自身が撮る人物写真に心震わせ、他の何も見えなくなるほど夢中になっていたのだ。ナポレオンの慢心にも弟の面従腹背にも気がつかないほどに・・

被写体は、訪ねてきた有名人/資産家だけではなく、サンラザール駅が近いこともあって、ふと訪ねてきた観光客や、なんでもない市井の人だったりもした。ナダールは、貧富報酬に関わりなく、彼のカメラの前に立つ全ての人の魂を見つめ、それを写真に収めようとした。その集中力と瞬発力、エネルギッシュな好奇心。瞬時に被写体の本性を見抜く視線。いま僕たちが彼が残した写真を見つめるとき、感じるのは、その彼の「発見への驚き」である。発見は喜怒哀楽を超えて人を感動させる。

ナダールは夢中だった。時には暴発するそんな彼を裏で支えた女性がいた。16才年下のエルネスティン・コンスタンス・ルフェーヴルErnestine-Constance Lefèvreである。彼女はフェーブルの写真アトリエで助手として働いていた。実はナダールが一番最初に撮った人物写真は彼女なのだ。二人は1854年に結婚している。二人は生涯相思相愛の夫婦だった。これもいかにもナダールらしいと僕は思う。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました