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堀留日本橋まぼろし散歩#08/夢二夢散歩#02

「開店は大正3年10月1日だ。3月19日に辰野金吾が設計した東京駅が新築落成した。第一次世界大戦のきっかけになったオーストリア・ボスニア地方の町サラエボで、オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人青年によって暗殺されたのが6月28日だ。翌7月28日に第一次世界大戦がはじまった。これに欧州各国が参戦していったのが8月9月だ。」
「日本は?」
「8月23日だ。ドイツに宣戦布告した。大正3年というのは明治天皇の喪が明けた年だ。時代が大きく動いた」
「どうしてそんな遠い国に宣戦布告したの?}
「ありていに言えば景気対策さ。これに先んずる日清戦争(明治27年)で日本は大儲けした。しかし国家経営というならば未だ未だ稚拙だった。強引な富国強兵路線は大きな経済的な歪みをもたらしていたからな。これを一発で解決してしまおうという参戦だ。タイミングよく英国とドイツが戦火を開いた。してやったり!ということで日英同盟を理由に参戦したんだ。もちろんわざわざ欧州まで派兵したりしてないよ。攻撃したのはアジアにあるドイツの植民地だ。翌9月2日に当時ドイツ租借地だった山東省に上陸して、これを日本のものにしている。まさに漁夫の利だな。戦争は儲かる。・・誰かが」
「いやな話ね」
「人が痛いのも哀しいのも、幾らでも我慢できる。他人の千切れた手足は、ちっとも痛くない。
他人が流す血は、その戦いで利益をむさぼっている連中に掻痒さえもたらさないもンだ。こいつは古今東西変わらない。
日本国民はあのとき、攻めろ攻めろ!と大合唱だったんだ。植民地を解放しろ!これは正義だ!とね。
大儲けを狙った連中の配ったキャンディの甘さに酔いしれたんだよ。
そして10月1日だ。
夢二は何度もくっついたり離れたりしている恋人・岸たまきとの愛の巣を呉服橋の袂に作った。夢二30歳だ。25歳の時に出した『夢二画集-春の巻』が大ヒットしていたしな。月刊『少女』に『宵待草』を発表したり、夢二の名前は少女たちの間に"いま風"を描く画家作家として知れ渡ったいたんだ」
「その岸たまきという人とは結婚しなかったの?」
「した。23歳の時にな。その結婚を機に夢二は早稲田を中退して読売新聞に就職している。翌年、二人の間に男子が生まれている。しかし、たまきと夢二は水と油だったんだ。たまきは気性が激しくて、どちらかという線の細い夢二を一から十まで引きづり回す人だったんだ。離婚したのは2年後だ。夢二の父親だった竹下菊蔵が、見るに見かねて離婚させたんだ。でもね。軟弱で付和雷同な夢二は、翌年からずるずるとまた、たまきとの同棲生活に戻っている。二人目の子が生まれのがその頃だ。翌年には三人目が生まれている」
「喧嘩しながら。三人も!!」
「でも結局このときも夢二は、たまきのなんでも口を出してくる態度に我慢できなくなって家を飛び出してる。夢二27歳だよ」
「何でも口を出したの?」
「うん。一番有名なのは夢二の画力のことだな。たまきは、夢二に正統的な画法を学ばせたかったんだ。所詮、夢二の絵はヘタウマだからね。たまきは生活の安定を得るためにも夢二をマトモな絵描きにしたかったんだろうな、そのことでたまきは口さがなく夢二を攻めた。夢二は自分の能力の限界を自分なりに知っていたからな、作風を変えれば駄作しか描けなくなることが判っていた。それにいまさらイチから学ぶ強かさも彼にはなかった。だから、たまきの怒鳴り声が耐えられなくなると、家を出奔していたんだ。でも結局はまた戻る・・をくりかえした」
「だめだめ男だったわけね」
「ははは。そのとおりだ。でも三児まで為したたまきには糧の元だからね、港屋を出そうと言い出したのは、たまきだよ。だから店主はたまきなのさ」
「なるほどね、だめだめ亭主の尻叩いて、お金を稼げるようにしようと考えたのね」
「そうだ。だから、そんなに大きなことは何も考えていなかった。まさかこれがきっかけで、夢二が引っ張りだこになるなんて思ってもみなかったんだと思うよ。
奇しくも、あの年に三越呉服店が新装開店してる。神田川を挟んで白木屋と三越が、当時の日本橋のフラッグシップとして立ち上がったんだ。そしてこの年に泉鏡花の『日本橋』が出たんだ。鏡花41歳だ。装幀は小村雪岱受け持った」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました