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銀座幻散歩#02

さて。再度4丁目の交差点に戻る。こちらがわの角には、服部時計店(和光)と三越がある。服部時計店はまだPXだった。三越は営業を開始している。実は和光は意図的に爆撃されなかった。しかし三越はやられた。躯体は残ったが、何もかもが燃えて廃墟のようになっていた。それを立て直したのが岩瀬英一郎。彼は三井銀行NYC支店長だ。戦後の三越を牽引した人物だ。

三越側は、ライオン側と同じで多くが消失した。地図を見ると、大きな建物はキャバレー美松と苫小牧製紙だけ。苫小牧製紙は王子製紙に吸収されて、今ここは同社の持ち物になっている。この地図では名前があるキャバレー美松だが、この翌年火事を出して無くなった。ちなみに美松の敷地に有ったお地蔵さまは現在、三越の屋上にお引越しなされた。美松のオーナーは榎本正。彼はキャバレー銀座パレスの持ち主でもある。閉鎖した銀座一丁目に有った美松百貨店(日比谷常磐生命ビル)を買ったことで、ここの名前が「美松」になった。銀座焼失後、榎本正は赤坂にマンモスキャバレー・ナイトシアターロイヤル赤坂を建てている。
細い路地に「みかわや」の名前がある。ここのオーナーは渡仲豊一郎氏。もともとは「三河屋食料品店」だったものを「フランス料理 みかわや」としてこの地でオープンしたのは戦後間もないころである。彼の師は、横浜ニューグランドホテル初代料理長、S.ワイル氏である。

中央通り沿いを見ると、玩具のキンタロウ、洋装飾品の田屋、いさみやと馴染み深い名前が並んでいる。田屋は初めて社会人になったとき、母がネクタイを複数本買ってくれた店だ。背広は英国屋だった。「一流の男になるのは難しいけど、まず形からお入り」と言われたことを憶えている。

昭和27年
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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました