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悠久のローヌ河を見つめて20/おわり/生涯逢えないままで終わるかもしれない恋人を夢想しながら

フィロキセラ席巻後、再生した葡萄畑に植えられた葡萄の木は、品種が意図的に絞られた。
"品種"という概念がワイン作りの中で前面に押し出されるようになったのは、この「フィロキセラ渦からの再生」という、謂わばイニシェーションとも言うべき事件の後からである。

それまで農家は、どの地方でも植えられている葡萄を一緒くたに収穫して、混ぜ合わせて醸造するのが普通だった。農家が色々な品種の葡萄を自分の畑に植える理由は"味わいのため"と云うよりは"リスク分散"が主たる理由だった。畑の一部で品種交配の試みが行われたり、新しい品種が植えられたり、色々なことがされても、出来上がった葡萄は全て一まとめにして絞られ、醸造へ回されたのである。
もちろんピノノワール単一品種の畑/シャルドネ単一品種の畑など例外は有った。しかしその例外は主として宗教的な理由による例外だ。そうでない場合は、大抵成り行きで使用される葡萄が決まっていた。使用される品種は概ね農家にとって、それが育て易いか・実が撓に成るかがで決定していた。
つまり謂ってみれば、徹底的なテロワール主義である。したがって買う側も、ワインを選ぶときに葡萄品種を語ることは稀だった。生産地と年度を語った。

ところがフィロキセラ渦というイニシェーションの後、農家は自分の畑で植えるべき葡萄は何かを、自分自身に問うことになる。
自分が作るワインの「自分らしさ」とは何か?
云うまでもないがアダム・スミスの云う通り「神の見えざる手」である。農家は美味しいワインを作りたくて、作り方/葡萄品種を選ぶ訳ではない。美味しいワインを作る方が/自分らしいワインを作る方が、より売れるからである。
フィロキセラ渦以降、その熟考が各地方でされた。(それ故、僕はフィロキセラ渦をイニシェーションとして捉えたい)
シャブリ地方の場合、新しく植えられた葡萄の殆どがシャルドネになった。アルザスではリースニングが中心になった。ボルドーはカベルネソービニオン/メルロー/カベルネフランだった。
そしてローヌ地方は、グルナッシュ/シラー/ムールヴェードル(GSM)が主体になった。
もちろんそうでない品種に拘って、自分の好みの葡萄の木をアメリカ製の台木(根)に乗せて育てる生産者も有ったが、大半は苗木業者から接木してある葡萄の木(つまり耐フィロキセラが確認されている)を購入したので、どうしても品種が限られてしまう。勢いどの生産者も同じ品種を植えるようになってしまったのだ。
しかし、これが逆に葡萄品種の違いによるワインの違いを際立たせる結果へ繋がって行ったのは、意外な展開だったと云えよう。
20世紀に入って以降、ワイン愛好家がテロワールだけではなくセパージュについても語るようになるのは、こうした時代の経緯からである。

そしてこれが判断基準として強化されるのは、戦後、新世界へワイン作りが拡散した為である。
新世界に植えられたワイン用の葡萄の木は、(よほど前から移植されたものでない限り)最初から耐フィロキセラの苗木だった。苗木業者が提供したものだ。なので品種は限られた。そのうえ品種は、その地へ移民した人々が「これなら売れやすいだろう」という基準で選ばれたので、余計にフランス系の品種ばかりがフランス以外の土地で数多く植えられることになってしまった。
北アメリカ/チリ/アルゼンチン/南アフリカ/オーストラリア/ニュージーランド等々、いずれを見ても植えられている葡萄の大半は(出自は何処であろうと)フランスで品種改良されて確立した葡萄ばかりである。
所謂セパージュ主義。これは、こうした経緯の中で生まれてきた考え方である。
北アメリカ/チリ/アルゼンチン/南アフリカ/オーストラリア/ニュージーランド等々において、そのテロワールが/クリマが熱く語られる時代は来るのだろうか?それとも醸造学の日々の発展は、テロワールについて語ることを只の陋習としてしまうのだろうか。僕にはわからない。

いずれにせよ。
何らかの方法で、葡萄の木は再度"自根の時代"へ戻ると僕は考えている。台木を間に挟まないとフィロキセラから隔離されない時代は早晩終わる。
実は、ワインにとって大きな次の変革は、この「自生根への回帰」だと僕は思っている。
おそらくそれは今世紀中だろう。

・・僕は間に合うのだろうか?ノアが手にしていた葡萄の木から作った、本当のワインの裔を口に出来るのだろうか?
実は一度だけ、フィロキセラにやられていない1945年もののピノノワールを口にしたことがある。しかし70年経ったそれは、その凄さを片鱗も残していなかった。とても残念だった。
神懸かって精妙なワインを口にするたびに、僕はその時のことを思い出すのだ。北米製の台木に載せられたものでないホンモノは、はるかにコレを超えているのか?と・・
生涯逢えないままで終わるかもしれない恋人を夢想しながら・・今回の稿を終わる。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました