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金貸しの起源#03

「土倉」は貸金商売として室町時代までに形を得た。もともとはモノを貸しモノで返済される形式だったのが貨幣が流通し始めると、モノを預かり金を渡すという方式に替わった。しかし戦国時代に入り貨幣経済が機能不全に陥ることで「土倉」は公儀のもの以外は凋落してしまった。それと百姓一揆が塁発するようなると「土倉」は格好のターゲットになり、周期的に徹底的な簒奪に遭うようになったしまったことも、凋落の大きな原因だろう。
江戸時代まで貸金商売は影を潜める。

ところが徳川幕府が、全国的に流通する貨幣経済を紡ぎ始めると、事態は一変した。「土倉」が各所で息を吹き返すのである。
当初、貸金業の呼び名は従来からの「土倉」だった。それが「質屋」に替わる。
始まりは元和8年8月、所司代板倉周坊守勝重が京都市内に配った書面(おふれ)である。ここには「質札には双方の氏名を記すこと」「贋物は取らぬこと」「質物の価格2/3を質主へ渡すこと」「利息は相対たるべきこと」質流れの期限については明記されていない。
このような規定は、大阪でも出された。寛永19年5月に大阪並びに天満質屋衆から町奉行所に、以下のような決め事「三約条」をしたという報告が出されている。
「請人のない質物は受け取らない「請人があっても下直なもの贋品と覚しきものは受け取らない」「受け取った場合は処罰をうける」「質業の加入廃業は速やかに届け出る」
やはり、金貸業の復活は経済の中心地だった上方から始まったのである。

江戸市内で"貸金"という名称が史料上に出てくるのは、20年後の寛文7年(1667年)2月「請取手形に関する取り締まり」の文言内である。江戸で貸金業が組合形態を取るのは、これから50年後の元禄5年(1692年)11月だった。このとき「質屋取締令」が幕府から発布されており、これがきっかけで土倉は質屋と呼ばれるようになっている。このころから質屋は急速に増え、享保8年には2,731軒になっている。市内人口率でいうと1/300だから町内に何軒かは有った計算になる。これは貨幣が経済の中心として高機能に働くようになった証左として考えてもいいだろう。

質屋に担保として差し出すモノ(動産)のことを質草(しちぐさ)という。
では、どんなものが質草として出されたのか?
前出の「時事新報」から引用する。

「庶民金融機関として一番大衆向で手取り早いのは質屋である、不動産は要らず、保証人は要らず積金や掛金などは勿論不必要で僅かの動産に対しても金融の途が開けているのは此機関ばかりである、安っぽいサラリーマンから貧弱な中小商工業者、さては自由労働者にして質屋の暖簾を潜らぬ者は少いであろうほどに庶民階級のお馴染である、一九三一年の不景気が仮りにフッ飛んで黄金時代が来ると夢みても質屋の存在は庶民階級の頭上に燦として輝いているのであろう、又銀座の夕闇を朗かに闊歩するモボ、モガの生活の裏を覗く時、質屋との縁しの糸が繋がっていることを思えば、質屋の名にこそ黴が生えていても、現代人の生活には切っても切れない腐れ縁が結ばれている」

これは1932年の記事だが、江戸時代も質屋と庶民の関係は変わらないと思う。もうひとつ突っ込んで昭和の御代の事情をこう書く。

「公益質屋に於ける質草は衣類が多いことは既記の通りだが民営質屋も亦そうである、新規貸出の大部分は衣類が占めているが仔細に見ると地方的色彩、区域的特色を遺憾なく発揮しているから面白い。
即ち東京市内外を概観すると問屋や大商店の中心地である日本橋、京橋は衣類が比較的少くて証券類が多くしかも大口取引が行われる、尤も京橋と云っても月島は細民が居る為めに安物衣類が持込まれる、神田へ行くと学生と本屋の根拠地であるだけに書籍の入質が多い、相場が動かないとあって法律と医学の書籍は比較的多く貸出す、銭湯へ行く時先に入れて置いた剃刀を出し髭をゴリゴリ当って帰りがけには又入れて行くと云う際どい芸当をやる学生もある、浅草は道楽階級の巣であるだけにピラピラした絹布が多いが純絹物よりも人絹の誤魔化し物が多いのは時代相とでも申すべきか、本所深川は工場地帯であると同時に細民数が多いから金目の物は少くいかものも此方面に跳躍するそうだ、下谷からは骨董が出る、本郷、小石川、牛込、芝、麻布、四谷方面は月並で衣類が多い、お得意が固定して一番楽なのは麹町で就中華族さんを上得意とし電話が掛れば早速自動車で参邸に及ぶ、山の手と雖も比較的下層階級の住宅が多い場所からは安っぽい什物が出る事新らしく言うには及ばず、郡部は小ザッパリした衣類が最も多く次で装身具であるが利払のよいのは高円寺、武蔵小山等サラリーマンの群棲地である、尾久、王子、三河島、千住、寺島、吾嬬等成績がよくないが、郡部の新開地は市内よりも営業が楽であると云うことだ」

ここまで来て、ようやく「時事新報」記事上にある「公益質屋」の話が始められる・・いつもながら話がウザったらしくながいなぁ。滝沢馬琴なみだ(^o^;;

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました