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アジェのパリ#03/パリの貧乏な芸術家たち

嫁さんの友人夫婦がやっているレストランが14区にある。 ル・コルニッション(Le Cornichon)と云うんだけど、僕のお気に入りでもあるンで、訪巴するときは必ずお邪魔することにしてる。素敵な店だよ。

今回も伺ったのだが、その前にちょいと寄り道をしてみた。カンパーニュ=プルミェール通りである。バスだと91番線で、Campagne Premiere駅で降りれば良い。降りたところにCave Des Grands Vinsというワイン屋があるから覗いてみるのも良い。
カンパーニュ=プルミェール通りは何の変哲もない道だ。
歩いていて見つけたカフェに入った。嫁さんが不審そうな顔をしている。
「この辺りにアジェのアパートが有ったんだ。」コーヒーを飲みながら言った。
「アジェ?アジェって、あなたのアイドルのアジェ?前に大きな写真集持って街を歩いて、彼と同じカットで写真撮るぞぉ!って大騒ぎした、あのアジェ?」
「うん。あのアジェだ。」
ま。もっともその意気込みは、同じアプローチで写真撮ってる人の作品を見つけて見事沈没したんだが・・あのときゃ、重いカメラバックを嫁さんに持たせて大顰蹙をかった。ははは、だからアジェはどうも嫁さんには評判が悪い。
「そのために、わざわざバス乗り継いできたの?・・相変わらずアジェ、祟るわね。」
「まあ、そういうな。このへんはな、沢山若い芸術家が暮らしていた地域で、中々面白いところなんだ。」
「それってモンマルトルじゃないの?」と嫁さん。
「ん。そうなんだけど、おかげでモンマルトルは家賃が高騰してね。致し方なく貧乏な芸術家たちの根城は、このへんに移ってたんだ。当時、この辺りは貧乏な人が暮らす地域だったからな。その貧乏の総元締めみたいに、頑固ジジイ、アジェもいた・・というわけさ。」
「でもそんなに貧しい地域には見えないけど。」
「100年も経ちゃ流石のパリも変わるさ。」
「変わらない街パリって、いつも言ってるじゃない。」
「それでも変わる。」

実際問題は、あまり変わらなかった。この辺りは20世紀半ば過ぎても安い下宿や貧乏行商人が澱んで溜まる地域だった。18世紀に吹き荒れたオスマン男爵の威風も、この辺りまでは達しなかったのだ。大きく変わったのは20世紀後半になって大幅な都市再開発が計画されて区画整理が行われ市街地化してからだ。
「家賃が高騰したモンマルトルへ住めなくなった金のない芸術家たちが、この辺りに集まり始めたのは第一次世界大戦後だ。彼らはラ・リューシュ(La Ruche)という木賃宿に寄っちゃかばって暮らしていたんだ。マルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニ、シャイム・スーティンたちだよ。みんな呆れるほど貧乏だった。海外からパリへ流れてきた芸術家は・・自称を含めてみんなそうだった。」

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました