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小説・バーチェットのヒロシマ#03

横須賀線は走っていた。彼はそれに飛び乗った。
ドアは木製で閉まらなかった。窓もすべてガラスが取り外されていた。その窓から見える景色は・・・綿々と続く焦土だった。横浜も川崎の工場地帯も、爆撃で完膚なまでに破壊されていた。
瓦礫と化したビル。燃え尽きたまま佇む街路樹。道路沿いの雑木林は、まるで黒焦げの骸骨の群れのように見えた。民家は何処も焼け落ちて、山のような家具・家の残骸が雨風に晒されて黒い塊りになっている。バーチェットは席に座らないまま半分空いたままの木製の扉に寄りかかりながら、小さな覗き窓からそれを見つめていた。

東京駅に着くと、片言の日本語で道行く人に訪ねながら歩いた。
同盟通信社側は日比谷公園の傍らにあるビルに入っている。
受付で「ディリー・エキスプレスのウィルフレッド"ピーター"・バーチェット」と名乗ると「お待ちしておりました」と言われた。バーチェットはびっくりした。「お待ちしていた?」大きな客室に通されると、すぐさま大柄の男が入ってきた。
「局次長をしております今和泉と申します」というと強い握手を交わした「しかし、驚いた。こんなに早くいらっしゃるとは」
「私がですか?」バーチェットが言った。
「はい、あなたが来ると聞いたのは‥昨日です。・・kappaと名乗っておりました。マニラの提携先新聞の紹介で訪ねてきた人物です。彼がヒロシマへ行きたい新聞記者が訪ねてくる。対応してくれと言ったんです」今和泉局次長が言った。
そのとき、バーチェットはあの小男が「同盟通信社へ行け」と言ったのを思い出した。
「バーチェットさん、ご存じですか?kappaという人物を」今和泉局次長が言った。
「あ・はい」バーチェットが口ごもりながら言うと、今和泉局次長が深く頷いた。
「マニラからは情報調整室Coordinator of Informationの人物だとだけ聞いてますが」
バーチェットは曖昧に首を振るだけで何も言わなかった。
「ラテン文字で呼ばれている男たちの噂はきいておりましたが・・実在するとは」今和泉局次長が探るようにバーチェットの目を見ながら言った。バーチェットは何も言わなかった。しかし内心は鳥肌が立つ思いだった。・・そうかkappaはラテン文字のKか・・米軍傘下でダーティワークをしているアジア人を、米軍はラテン文字でαβγと呼んでいるという噂は、バーチェットも知っていた。・・そうか、だからあれほど戦況に詳しかったのか。

30分ほどで同盟通信社を出たバーチェットはどこにも寄らずにそのまま横須賀へ戻った。バーチェットはずっと車内で、kappaが何故自分に近づいてきたかを考えていた。同時に今和泉局次長の言ったことを反芻した。
彼の話によると、西日本への列車は不定期だが走っている。広島には十分行けるとのことだった。
バーチェットは驚いた。この国は・日本は・街一つ消滅するほどの爆弾をうけても、そこへ列車を走らせる国なのか・・と。
「広島からの連絡が、全く途絶えているわけではない。定期的な報告はある。しかし我々から連絡することはできない。」と今和泉局次長が言った。そして続けて「もし貴君がヒロシマへ行くならば、我々が往復の切符を用意しよう。彼の地の担当者への紹介状も書こう。しかしひとつ頼みたいことが有る。担当者に食糧を届けてほしい。荷物とチケットは貴君の宿舎へ届ける」と。
バーチェットは快諾した。
そして宿舎にしていたホテルへ戻ると、同じく泊まっていたディリー・エクスプレスの記者ヘンリー・キーズに、その話をした。

ヘンリー・キーズは驚嘆した。しかし彼のために東京の同盟通信社と連絡を取り続け、バーチェットが送ってきた原稿と写真を即日ロンドンへ送ることを約束してくれた。しかしバーチェットはヘンリー・キーズに"南太平洋の黄色い死神たち"kappaの話はしなかった。あまりにも奇天烈な話だったからだ。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました