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迷宮の旧市街バルセロナ

僕が初めてバルセロナを訪れたのは、オリンピックの前々年の時だった。1990年だった。
モンジュイックの丘は未だ整備されておらず、ロマたちのボロ屋が重なるように立ち並ぶ所だった。旧市街もまだ惰眠むように静かな2000年の文明の滓で澱む処だった。

僕はそんな旧市街の小さなホテルに泊まった。石造りの厳めしい建物だったが、設備はNYCロアーマンハッタンの貧乏ホテルと大差ない汚い古臭いホテルだった。それでもガタピシと軋む窓を開けると、目の前に旧い鐘楼と教会が見えて、それなりに旅情溢れる・・のが救いだった。でも。たった一晩でベットバグにやられた。身体中が赤斑だらけになった。

その後も何回かバルセロナには出かけたが、旧市街にホテルを取ったのは、それが最初で最後になった。
それでも旧市街は大好きになった。ウネウネと、どこに繋がるのか判らない露地・細道は、数百年も前に建てられた石造りの建物の間を縦横に走り、入り込めばすぐに迷子になってしまう。古代の迷宮の町、そのものだった。

でも。一昨年に家人と同じバルセロナの露地を歩いた時に、思った。
40年前に僕が歩いた処と、その通奏低音が大きく変わっている。路地の奥に居を構える店から流れてくる音楽が、不思議な中近東の調べではなくなっているのだ。まるでLAあたりのエスニックゾーンで流れているようなポップに替わっているのだ。

「最初に来たときはサ。ランブランスの通りを歩きたくて来たんだ。ジョルジュ・サンドとショパンが歩いた道を歩きたかったんだ。その頃も沢山の露店が並んでいた。通りに貸し椅子屋が居てね、ロマが大道芸をしてる通りだったよ。」
「貸し椅子屋?」家人が言った。
「うん。通りに椅子を並べてな。昔の都電バスの車掌さんみたいなカバンを肩から下げたオジサンが、その椅子に座った観光客から集金してた。

その時も、この迷路のような露地を歩き回ったけどな。店先から流れてくる音楽は、もっともっと中近東の調べだったよ。」
ピレネーより向こうは、ヨーロッパではない。アフリカだとナポレオンは言ったそうだが、それを痛感する景色だった。
そんな古色蒼然としたバルセロナは去った。グローバル化が足許から忍び込んでいた。
でも。そこはかとなく・淡く薫る街の匂いは、未だ欧州の街のそれとは、まったく異質なものだった。
「よかったね。間に合った。」
僕が言うと「なにが?」家人が不思議そうに聞き返した。 

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました