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ナダールと19世紀パリ#12/写真術との出会い

ふとした思い付きから制作を手掛けた『パンテオン・ナダール』だった。たしかに猛烈な評判にはなった。しかし商売としてはコケた。多数のスタッフを雇い、250名の肖像画を1m四方の石板の中に彫る作業は、下準備が煩雑で経費も半端なくかかった。それが全くの赤字で終わったわけだから、大抵の人はめげるだろう。借金の後処理に奔走するはずだ。・・もちろん、ナダールは違った。
『パンテオン・ナダール』制作の下準備で利用した写真術に魅了されたのだ。ナダールはこう書いている。「生まれたばかりの写真術が,少なくとも私の無能さを助けてくれた…」
ナダールは似顔絵を描く素材として写真を利用したのだ。
ナダールは風刺画を描きながら気がついた。・・写真はどんな絵描きよりも精緻にモデルを写す・・と。自分自身をあまり上手でない風刺画家と思っていたナダールにとって、膨大な修練なしで精緻な描写ができる"写真"を再発見したことは重かった。

写真術は、パリで活躍していたジャック・ダゲールLouis Jacques Mandé Daguerreがダゲレオタイプdaguerréotypeという技法を完成させたことで普及した技術だった。1839年である。しかし露光時間があまりにも長くて汎用化は難しかった。これが10年ほどで改良される。露光時間が5秒くらいまで短縮されたのだ。技術改良はヒト類の業(カルマ)だ。月に憑かれたサルは、長い年月をかけたとしても月へ辿りつくものだ
このダゲールのダゲレオタイプを利用して肖像写真が撮られるようになると、これが当時の金持ちの間で大流行した。ニューヨークに最初の写真館が出来たのが1940年。またたく間に写真がビジネスとして確立、写真館が各地で開設された。

その新しいメディアにナダールが注目しなかったわけはない。とくに新らしもン好きのナダールが、写真術に心揺れなかったのは何故だろう?
僕は『パンテオン・ナダール』の制作に入るまで、ナダールは「写真と言うメディア」が精緻だが正確ではない理由に気がつかなかったのではないか・・と思ってしまう。
1953年より始まるナダールの写真館で撮られた作品を見ると、同時代に撮られた他写真家の作品と圧倒的に違うことが判る。ナダールの写真は、精緻なだけではない。撮られた人物の本質が正確に捉えられているのである。精緻が安易に手に入ることで、正確に写し取ることがおざなりになってしまう理由にナダールは気がついたのである。
内面まで写し込む写真は、ナダールをもって始祖とする。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました