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ポルトブケール通りに泊る/サンテミリオン村歩き#01

https://www.youtube.com/watch?v=CmwPxdnz0p0

モノリス教会の前、テルトル・ドラ・トント通りを南に散策するとマルシェ通りにぶつかる。この辺りが村の中心地だ。
この道をさらに南へ下るとポルトブゲール通りPrte Bouqueyreにぶつかる。王の塔からほど近い細い路地だが、実はこの道でサンテミリオンは外の世界と繋がっていた。まさにサンテミリオンの玄関がこの道だったのだ。

このポルトブゲール通りに、ロジスデロイChambres d'hôtes Les Logis du Roy(7, rue Porte Bouqueyre - 33330 SAINT-ÉMILION)というホテルがある。僕のサンテミリオン歩きは此処が定宿だ。しかし嫁さんはお気に召していない。もう少しホテルらしいところが良いらしい。どうもこのChambres d'hôtesらしい放置感が気に入らないらしい。僕は好きなんだけどね。
http://www.leslogisduroy.com/

だからサンテミリオンでのホテルは此処にするよ報告すると、いつも「え~またぁ?」と嫁さんに言われてしまう。
「ポルトブゲール通りにあるから、それだけでも価値が有るんだよ」と言い返したが「わかったけど。でもずっとそこに居るわけじゃないでしょ?」と念をさされた。
「ボルトブゲール通りは、長い間サンテミリオン村にとって、とても重要な道だったんだよ。ドルドーニュ川と村を結ぶ大動脈だった」
「ん。何度もその話は聞いたから知ってるわ」
「それにサンテミリオン駅からも行きやすいしな」
「わかってるわ。何度もロジスデロイ・ホテルまで歩いたから」
「ん~途中で移動できるように、あとでホテル探ししてみるよ」
「お願いね、自分で決めないでね、私に確認してね」
「了解いたしました。奥さま」
やれやれ。

何回かお話ししたようにボルドーは、スペインで戦った退役軍人が作った町だった。彼らは地中海側でスペインから持ってきた葡萄を植えた。ターゲットは北のケルト人だった。ローマの商人たちはこれを買って海峡を渡って大西洋北回りで商いをした。その膨大な利益を横目で見ていた退役軍人たちが、自分たちで直接ケルト人にワインを売りたくて、興したのがボルドーである。しかしボルドーはジロンド川の泥に塗れた土地だ。交易の場には出来ても、葡萄は植えられない。なので彼らはドルドーニュ川やピレネーに近い内陸部で葡萄を育てたのだ。
ボルドーから東北へ40km。ドルドーニュ川に近い丘・サンテミリオンに葡萄畑が作られたのは西暦200年ころからだったと云われている。
おそらくボルトブゲール通りは、その頃から在ったに違いない。ワインはこの道を通って、ドルドーニュ川を使ってボルドー市内へ運ばれたのである。ボルトブゲール通りはサンテミリオンと同じくらい古い道なのだ。
記録としてこの道の名前がでてくるのは1211年。Bouqueyreは肉屋通りという意味だったらしい。ボルドーへ向かう街道に商店が並んでいたのだろうか。

ロジスデロイLes Logis du Royへ泊まった夜は、いつもこの通りにある店で夜は過ごす。小さな落ち着いた店が幾つもあるのだ。
何回目だったか、夕方、チェックインした後、僕らはブゲール広場にあるRue de lLe Mediévala (Prte Bouqueyre, 33330 Saint-Émilion)+33557247237へ出た。
このレストランは、朝早くサンテミリオンの駅に着いたとき、村へ歩く道の途中にあるのでよく利用する。馴染みの店だ。

その日は夕食の後、Sous la robe(21 Rue André Loiseau, 33330 Saint-Émilion)+33557245680へ行くつもりだったので、近場のレストランを選んだのだ。Sous la robe(スカートの下)は、僕のお気に入りのワインバーだ。
https://www.facebook.com/souslarobesaintemilion/
金曜/土曜日はライブが開かれてることが多い。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました