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小説・バーチェットのヒロシマ#02

バーチェットは、南方戦線から連合軍に「ディリー・エキスプレス」の契約記者として従軍した。そしてマレーからフィリピン、沖縄と、連合軍と共に太平洋を上がってきた。したがって、メディア担当将校にも他部署にも顔見知りが沢山いた。作戦本部に行ってその知り合いの一人にオッペンハイマーの名前を出すと、彼が顔面蒼白になった。まずい!とバーチェットは直感した。なのでそれ以上は言わなかった。将校は小さな声で言った。「海軍基地がある街がひとつ消えた。ヒロシマと云う街だ。我々が上陸する前に、幾つかの日本の街は消える。日本軍の大きな軍事基地は大半が無くなる。わかっているのは、そこまでだ。それ以上は知りたがるな」
バーチェットは、小さく頷いた。

そして、ナガサキという街が消えた話を聞いたのは・・その翌々日のことだった。三つめは?東京か?京都か?兵士たちの間では賭けが始まるほど、関心の的になった。全員が浮き浮きとしていた。これで俺たちはゲリラの中に飛び込まなくて済むかもしれない・・そう思っていたのだ。
バーチェットが、この二つ目の爆弾投下のニュースを聞いたのはメディアセンターでだった。彼はそのとき、その消滅した街へ取材に行こうと決めたという。

そのチャンスは、意外に早く来た。
8月15日に日本が降伏したのだ。二つの新型爆弾投下の一週間後である。それほど日本国を震撼とさせる爆弾だったのか?
しかし・・軍本部が降伏宣言をしたとしても、承服しない人々によるゲリラ戦は今後何年も、あるいは何10年も続くだろう。全員がそう思っていた。そのためにマッカーサーが戦死者のために50万個の勲章を発注し、すでに納品されているという話も漏れ伝わっていた。
しかし・・拍子抜けするほど日本人は無抵抗だった。

最初の海兵隊は東京大森にあった捕虜収容所へ上陸しこれを保護した。8月27日である。
そのとき・・日本政府から、すぐ傍に慰安所が用意してあるから使ってほしい・・という連絡があった。本部は無視したが、その話は面白おかしく兵士たちの間に、日本政府からテレックスで送られたという地図付きで広がり、収容所の捕虜獲得後にジープで出かけた兵士たちがでた。彼らが戻って吹聴したせいも有って、その日だけで40人近い米兵が、大森海岸に有った官製慰安所「小町園」を訪ねている。実は、この収容所接収の海兵隊にバーチェットに声をかけたkappaと名乗った男が混ざっていた。彼は闇に紛れて姿を消した。

その進駐軍と共にバーチェットが横須賀に入ったのは8月28日だった。
バーチェットは常に黒い手帳を携帯していた。それは自作の日本語会話集だった。南方戦線に従軍した時から作り始めたものだ。「これはなんですか?」「あなたはだれですか?」「右?左?」等々、相当数の言葉が書き込まれていた。
この手帳は沖縄で、充実していた。
これが彼の宝物になっていた。
バーチェットは、横須賀に着くとすぐに「街一つ消滅した」というヒロシマへ行こうとした。しかし、マッカーサーは新聞記者の西日本への立ち入りを禁止していた。よほど見られたくないものがある・・彼はそう思った。
そこで、東京にある「ディリー・エキスプレス」と繋がっていた同盟通信社へ行くことにした。実はバーチェットは米軍よりも先に帝都東京に入っているのである。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました