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銀座/消えた戦後の残り香のこと#02

日劇の下に有ったオフクロの馴染みだった床屋「ホワイト」の話。ホワイトの営業は1977年までだった。「ロッキー」があった年だ。なぜ憶えているかというと、あの映画はオフクロの建ての願いで一緒に見に行ったからだ。その帰りに有楽町の駅なかに有った花屋であつらえてもらった花束を持って「ホワイト」へ寄った。
「さびしいわね。」オフクロが言うと
「みんな辞めちまうよ。ふじやも閉めるそうだ。」
「牛丼屋さんも?・・帰りに寄ってみるわ」
「ああ、そうしとくれ。みんな散り散りになる。」
オフクロが「ロッキー」に誘ってくれたのは、銀座に"まだ残る戦後の残り香"を僕にも感じておいて欲しかったから・・かもしれない。
街で逢った人は街で散っていくもの・・深くなくても佳い、でも優しくできなかったら出逢う価値も意味もない。父が逝った後、銀座の夜の街に生きて子育てをした母の哲学だった。
母である日劇が閉めたのはその4年後の1981年だ。その日劇の壁に地上に地下にと・・へばりつくように、まるでヤツガシラのように在った店は意外なほど多かった。飲食だけではなく碁会所や麻雀屋もあった。甘栗屋もあった。時計屋/ライター屋もあった。殆ど一坪二坪店で、雑多な店構えが昭和だったと思う。
すべてが消えた後にマリオンが建った。
ところで・・マリオンで観た最初の映画は何だったか?「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」だったように思う。さだかではない。
ちなみに日劇ミュージックホールは、日比谷の東宝の五階に移った。東宝名人会が開かれていた小劇場だ。名人会は日比谷の芸術座に移った。三遊亭金馬さんを聴いたのは東宝の五階が最後だったかな・・

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました