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戦後というリセッション#04/人間宣言のうちそと

「文芸春秋にみる昭和史/第2巻」の中に前田多聞による「人間宣言のうちそと」というものがある。
そこから引用する。
「これより先,たしか十二月の初めごろであったと思う。臨時国会の予算委員会で、ある議員から私に質問があった。
文部大臣に尋ねるが、いったい天皇は神であるか神でないかそれを返事しろと激しい口調の質問であった。その時私はいまのご質問に対しては私はこう言いたい。天皇はカミであり、またカミでない。なぜならば、神という日本の言葉と、ゴッドという意味をもった神との間には非常なちがいがある。私は無学でよくわからんが、日本の神というのは、キリスト教で言うような全智全能の神とか造物主とかいうような意味でなく、至上至高の地位に居られる方という意味ではないか。そこで質問が、天皇はゴッドのような神だと考えるかと、こうおっしゃるならば、それは神ではないと答える外はない。ところが日本の古来からの観念で、現世において最上位にいらっしゃる方であるとの意味ならば、やはりそれは神であると答えなければならんので、神という言葉の意味によって返答がちがうんだというように答えて問答はうやむやに終ったことがあった。」
晩年、新渡戸の影響下でクエーカー教徒になった前田多門らしい答えだと、僕は思う。

この西洋的な"神"という概念・・いや有体に云うならキリスト教的/ユダヤ教的な"絶対無二な神"と云う概念を以てして"神"と云う言葉を振り回すならば、僕たちは「神とは何か」ということについて考えようとすると、必ずキリスト教が抱えている論理矛盾の迷路に迷い込んでしまうものだ。
実は、キリスト教的/ユダヤ教的の神が"絶対神"とされたのは、比較的新しく、紀元前586年、ユダ王国が新バビロニアに征服され、ユダヤ人がバビロンに連行され、捕囚となった頃からである。この時、聖書へ大きな改訂が祭司たちによって為された。聖書の原型である所謂J文書、E文書およびD文書が祭司Priesterschriftたちによって大きく書きかえられたのである。聖書の冒頭「天地創造の7日間」も彼らによって書き加えられたものだ。バビロン捕囚以前のユダヤ人の神は、決して全知全能ではなく、間違えもするし怒りもするし哀しむこともある神だった。

前田多聞は、その迷路に陥らないためには、キリスト教的な"神"という概念を帯びた言葉としての"神"で、日本的な"神"を捉えるべきではないと説いているのである。これは至極まっとうな視点だと僕には思える。
日本的神の概念は、いや・・普通の神の概念は"至尊至厳"であっても、決して"天縦惟神"ではない。
つまり天皇を"現人神"というならば、それは"至尊至厳"として敬われるべきで、"天縦惟神"として崇め奉られるものではないと、彼は言いたかったのではないか?僕はそう思う。

傍証するならば、1888年枢密院の帝国憲法制定会議に提出された「憲法説明」において「天皇は至尊至厳神聖不可侵にして、臣民群類の表にあり」とある。枢密院は天皇の絶対的キリスト教的神とは語っていないのだ。
しかし伊藤博文の憲法義解をみると、明治憲法第三条について「蓋し天皇は天縦惟神至空にして臣民群類の表にあり。欽仰すべくして干犯すべからず」とある。つまり伊藤らによって天皇は「至尊至厳」から「天縦惟神」に換えられたと見ていいだろう。ここに進むべき道を見誤る萌芽がある。絶対神を奉ずれば、絶対善が現れ、唯我独尊が現れる。日本の維新の崩落は此処から始まったと云えよう。

しかし。実は。天皇という存在が、キリスト教/ユダヤ教的な"天縦惟神→現人神"でないことは、天皇自身が一番判っていたと僕は思う。明治天皇然り大正天皇然り、この視座からはただ一度も「我は神也、乃至、我は神の子也」という発言はしていない。ナザレのイエスとはちがう。また彼に追従したプロテスタントの牧師が時々神ががってしまうのともちがう。
昭和天皇も然りである。彼は自分が神だとは、欠片も考えていなかった。むしろ迷惑に思われていたのではないか?
戦時中、陛下の前で、御身は現人神であると発言した者に、陛下は激怒されている。「私は神でない!」と。

戦後、GHQから天皇の人間宣言を出すように誰何されたとき、幣原総理は蛇足であると考えた。しかし12月24日に参内したおり、幣原は天皇からこう言われた。
「昔、病気に罹られた天皇が居られた。しかし宮内庁は、陛下は御神体である、そのお体に触れるとはもっての外である!と医師の診察を許されなかった。そのため、その天皇は亡くなった。」
陛下のこの言葉に、幣原は恐縮した。陛下はGHQからそうした宣言を出されるように指示が有ったことをご存じだったのだ。
幣原はこのとき、ならば下書きは私が書こうと決心した。内外に正しく陛下のお言葉が伝わるように下書きは私が格調高い英文で書こうと決心した。幣原は翌日から、それを書き始めている。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました