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ワインと地中海#33/キルケアの旧市街を歩く#01

思い立ってキルケア(コルフ)に出た。毎週月曜と木曜日はEasyJet空港がヴェネツィアとキルケアを繫いでいる。所要時間は1時間45分。エアバスだ。ホテルはグレコテル コルフ インペリアル ホテルGrecotel Corfu Imperial(Tzavros - Kommeno, Kerkira 490 83)
https://www.corfuimperial.com/
レストランのグレードは此処が好いとダニエリのコンシェルジェご推薦だった。ホテルは"今っぽい"個性は感じなかったが設備はきちんとしていた。あまりにリゾートしているとレストランのクオリティが心配だったが、なんなくクリアした。食事が済んで部屋に戻ると、窓の外は月影に照らされたイオニア海だった。

「ヴェネツィアでは絶対に見えない景色ね」嫁さんが言った。
「でもないよ。ラグーン外縁のアドリア海のホテルに行けば出会える」
「行ったことないわよね。いつも島の中だから」
「ん。行かない。一度だけ『ヴィスコンティのベニスで死す』のホテルへ、ヴィスコンティ詣でをしたが、それだけだ。二度はない」
「どうして?」
「周りの町に豊潤さがない。結局はフェリーバスに乗って島へ出てくることになる」
「なるほどねぇ。此処は?」
「ん。良いね、明日は旧市街にあるベネチア貴族の邸宅ホテルへ泊まる。明後日はこっちに戻って木曜日の飛行機でヴェネツィアに戻る予定だ」
「ふうん」
嫁さんが視線で海を指した。
「イオニア海・・でしょ?地中海の一部よね?」
「ん。いま乗った飛行機はアドリア海を飛んでイオニア海に入ったんだよ。イオニア海はバルカン半島南部とイタリア半島南部の間に広がる大海だ。古代の船乗りにイオニア海は越えられない世界の果てだった。地図なんかないからな、無数の船乗りが船出して消えた海だったんだよ。フェニキア人は航海術に優れていたけれど、船は未だ竜骨を持たなかった。だから航海は沿岸を沿って進んだんだ」
「なるほどねぇ。未知の旅へ向かう命がけの道だったわけね」
「だからフェニキア人の道は故郷レヴァント北岸からアナトリア東海岸/キプロス/アナトリア中央部/クレタ諸島そしてバルカン半島南部へ広がり、そこで詰まったんだ。まず初めにフェニキア人は、バルカン半島に並ぶ7つの島々に移植した。
南からいうとザキントス/ケファリニア/イターキ/レフカス/パクシ/ケルキラ。それとずっと南に外れてキティラだ。いずれも山が険しく平野部が少ない。しかし高い山々に遮られて北風が少ないので温暖な地域だ。地震多発地帯でもある。
フェニキア人たちは、ここへ葡萄の苗とオリーブの木を持ち込んだ。イオニア諸島のワインと言えばヴェルデアVerdeaが有名だ。これにスキアドプロSkiadopoulo/ガストリディGoustolidi/ロボラRobola/パブロスPavlosを混ぜる。熟成した白ワインでアルコール度数が高い。好き嫌いは別れるな」
https://ktimagrampsa.gr/en-white-wine/en-verdea/
原則も白ワインが多い地区なんだが、レフカスには赤ワイン用のヴェルツァミVertzamiがあって、これはサンタ・マブラSanta Mavraと呼ばれて有名だ。マブラmavraはmavrosの女性形で黒人のことだ。
https://www.vivino.com/FR/fr/cosm-agricola-primitivo-del-salento-santa-maura/w/3610426」
「ということは・・全部ヴィニフェラ・ポンティカ Vitis vinifera ponticaばかりなの?」
「ん。いまは世界種を栽培している生産者もいる。バリエーションは豊富になっている。
歴史的に見ると・・フェニキアが去った後は原ギリシャ人のものになっている」
「地震は?」
「サントリーニとは大きなペロポネソス半島に遮られているから、甚大な被害までは行かなかったかもしれない。それでも台頭してきた原ギリシャ人たちの島になった。オデュッセウスの故郷でもある。この辺りがイオニアと呼ばれるようになったのはその頃からだろうな。イオニアというのは、島嶼群だけではなくこの地域一帯をギリシャ人は指していたから、そのままイオニアと呼ばれたんだろうな。
アテナイとスパルタカスが戦ったペロポネソス戦争のときには、移植者の出自で島嶼連合は二分して、ケルキラ,ケファリニア,ザキントスが前者に、レフカスはスパルタに味方したという。
・・このペロポネソス戦争は、結果としてみるとギリシャ諸都市国家を極端に疲弊させた。もともと地味貧しい地域だからな。交易を破壊する戦争は致命的なんだ。第一次第二次世界大戦もそうだろ?戦場として蹂躙された国は、勝とうが負けようが衰退しただろ?あの戦争で自分の土地が全く荒らされなかった米国だけが漁夫の利を得た。・・同じだ。
結果としてペロポネソス戦争は、ローマのバルカン半島支配を進めただけになった。そのときにイオニア諸島も全てローマのものになっているんだ」
「・・でも、ローマは」
「ん。東西に分かれたローマは、東がこの地帯を支配した。でもヴェネツィアだ。東ローマは早い時期からアドリア海/イオニア海の管理をヴェネツィアに託していた。なし崩し的にイオニア諸島はベニスの商人たちのものになっていったんだよ。ある意味その頃が一番華やかだったかもしれないな。ベニスの商人たちの豪華な邸宅が各所に作られたし交易中継点として大活躍したからな。これをひっくり返したのはナポレオンだ。イタリア半島の都市国家を攻めたナポレオンはヴェネツィアも陥落させた。そのときにイオニア諸島はフランスのものになってるんだよ。しかしナポレオンが失墜すると1807年にイオニア諸島合衆国が出来上がった。絵にかいたような英国の傀儡国家だ。1822年に英国の肝いりでギリシャ王国が出来上がって、1866年にイオニア諸島合衆国はこれに合併された。そして今に至る・・というわけだ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました